京 都 Slide show
 銀箔とは無縁の銀閣寺。清水の舞台から飛び降りるで有名な清水寺。後醍醐天皇ゆかりの寺天竜寺、極楽浄土を現した金閣寺、平安宮を縮小コピーした平安神宮09.11.18
 
 銀閣寺は正式名を慈照寺(じしょうじ)と呼ばれ、室町時代(1482)に足利義政の山荘として造営された。寺の外装は創建当初から漆塗りであり銀箔ではない。名前の由来は諸説あるが確定したものはない。京都駅バスターミナルから銀閣寺行きが運行している。
 京都市の水源、琵琶湖疏水(びわこそすい)脇にある「哲学の道」。この道を京大教授で哲学者の西田幾多郎が思惑に耽(ふけ)りながら歩いた。

 寺への入り口「総門」は小さな造りであった。側に大きな案内板が立っている。
 境内に入ると見事な「庭園」があった。
 境内の展望所から見た「銀閣寺」。右側に白砂を敷いた「銀沙灘(ぎんしゃだん)」がある。遠方に俗世の建物が見えた。
 紅葉に埋まった「銀閣寺」。後方のマンション住人は居ながらにして四季折々の風情が味わえ羨(うらや)ましい。
 漆塗りの「銀閣寺」は修復中であった。
 
 清水寺(きよみずでら)は奈良時代の末期(778)に奈良子島寺の延鎮(えんちん)上人が霊夢に従って開創した寺である。「清水の舞台(高さ13m)から飛び降りたつもりで・・」という有名な言葉は江戸庶民の観音信仰から生じたもので明治時代(1872)に飛び降り禁止令が出るまで続いた。ここは平安時代に鳥辺野(とりべの)と呼ばれる京都庶民の「死体捨て場」であった。腐臭が来ないよう人里から離れた崖に棚を造り、そこから死体を投げ込んで風葬したそうだ。
 京都駅前にそびえる131mの「京都タワー」は土建国家の象徴である。
 京都タワー展望台からの「眺め」だが、超高層ビルがないので救われている。
 この眺めは「古都京都」の名に相応しくないが、瓦屋根が続く町並を望むのも無理な話である。

 駅前バスターミナルから、京の一日観光コースの「定期観光バス」に乗って出発する。平日だが高齢者が大勢参加しほぼ満員であった。
 清水寺の正門「仁王門」は室町時代(15世紀末)に再建された楼門(ろうもん)である。
「三重塔」は平安初期(841)に創建された、日本最大級の三重塔で高さは31mある。「経堂(きょうどう)」は江戸時代初期の創建で仏教の大蔵経を宝蔵している。新型インフルの流行で修学旅行生のマスク姿が多かった。

 本堂にある「清水の舞台」は舞楽などを奉納する舞台で120平方メートルある。
 清水の舞台から見た「奥の院」の様子。これは江戸時代初期の創建である。
「阿弥陀(あみだどう)堂」江戸時代初期の創建で、法然上人が日本で最初の常行念仏を修(ほどこ)した所である。

 奥の院から見た「清水の舞台」の様子。
 この舞台は本来景色を見るために造られたものではなく、昔の風葬場でこの下に遺体を落として死者を葬った。
「音羽の滝」は”清め”の水として尊ばれている。欧米人観光客が楽しそうに水を汲んでいた。風葬場から流れて来る水なので霊験あらたかであろう。
 
 天竜寺は南北朝時代(1339)に吉野で没した後醍醐天皇の菩提(ぼだい)を弔うために足利尊氏が創建した。寺は室町時代に栄えたが、その後の戦火で殆ど焼失し現在の建築物は明治以降に再建されたものである。
 桂川に架かる「渡月橋(とげつきょう)」は京都嵐山を象徴する橋である。

 大本山天竜寺の入り口「総門」は渡月橋から徒歩5分にある。
 総門を通ると本堂入り口の「庫裏(くり)」がある。
 庫裏から渡り廊下を行くと多宝殿につながり、ここで幼少期を過ごした「後醍醐天皇の像」がある。

 更に廊下を周ると本堂から「曹源池庭園(そうげんちていえん)」が眺められる。
 曹源池庭園から見た本堂の「大方丈(おおほうじょう)」。
 拝観コースから見た「紅葉と庫裏の屋根」。
 拝観コースにある「平和観音と愛の泉」。この泉の水を飲むと愛と幸せが訪れるとされる。池に賽銭が沢山入っていた。
 拝観コースの「竹林」。京都府内で採れる竹の子は日本一良質と賞されている。
 
 金閣寺は正式名を鹿苑寺(ろくおんじ)と呼ばれ、鎌倉時代(1397)に足利義満が極楽浄土に擬(なぞら)えて造営した。
 金閣寺の「総門」。大勢の観光客が見学に訪れていた。
 総門を通り境内に入ると色鮮やかな「紅葉」が目に留まった。後ろにあるのは「鐘突堂」。
 舎利殿の「金閣」にはお釈迦様の骨が祭られている。この金色を見るだけで極楽浄土が味わえる。

 夕桂亭(せっかてい)近くの高台から見た「見返り金閣」。
 夕桂亭の「茶室」。夕日に映える金閣が桂(よ)いと言うのでこの名が付いた。
「不動堂」には弘法大師が作ったと言われる石不動明王(いしふどうみょうおう)が祭られている。
 
 平安神宮は平安宮朝堂院(御所)を半分強の大きさで模写し当地(岡崎)に再現したものである。神社は明治28年(1895)に桓武天皇(かんむてんのう)の平安遷都(794)1100年を記念し大規模な博覧会が開催され、そのパビリオンとして造られた。オリジナルの平安宮朝堂院はその石碑だけが二条城周辺に残っている。
 平安神宮の入り口「応天門(おうてんもん)」。明治27年建造。                 

「大極殿(だいごくでん)」明治27年建造。
「蒼龍楼(そうりゅうろう)」。明治27年建造。
「奏平閣(たいへいかく)」。大正元年京都御所より移築。
 栖鳳池(せいほういけ)の側にあった「真紅の楓」。
 京都で一番高い高さ24mの「大鳥居」。昭和4年建造。
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