サンクト・ペテルブルグ(2) Slide show
 ピョートル大帝の騎馬像があるデカブリスト広場、ロシア革命の蜂起(ほうき)を合図した巡洋艦オーロラ号、暗殺されたアレクサンドル2世を弔らった血の上の教会、「琥珀(こはく)の間」で知られるエカテリーナ宮殿、バロック様式のスモーリヌイ修道院、ご当地のメインストリートネフスキー大通り09.8.9
 
 デカブリスト広場の名前は1825年12月ロマノフ王朝で起きた反乱のデカーブリ(ロシア語の12月)に因(ちな)んで付けられた。広場の中央にある「青銅の騎士像」はピョートル大帝が馬に跨(またが)った姿で1782年にエカテリーナ2世がつくった。
「青銅の騎士像」と「旧元老院」の建物。ロシアの文学者アレクサンドル・プーシキンが1833年に書いた長編叙事詩でピョートル大帝の騎馬像を題材にしたことから「青銅の騎士」と呼ばれるようになった。
「青銅の騎士像」の前で「結婚式の写真撮影」をしていた。
 ご両家とも「緊張した面持ち」で並んでいた。ピョートル大帝に肖(あやか)って大成するよう祈りたい。
 
 巡洋艦オーロラ号は1897年当地の造船所で起工し、1905年の日露日本海戦で沈没を逃れ翌年当湾に帰港した。その後1917年に冬皇宮に向けオーロラ号が発射した空砲を合図にロシア革命が始まった。第二次大戦中ドイツの攻撃で1941年港内に沈没したが、1944年に浮揚され大規模改修後、1956年に博物館船となった。一世紀以上に渡ってロシアの歴史を刻んだ記念すべき巡洋艦(中型軍艦)である。
「オーロラ号」はネヴァ川の河畔(かはん)に博物館船として係留されている。艦への入場は無料である。
 レトロな3本の煙突は日露海戦当時のままの「雄壮な姿」だが装備は近代的に改装してある。海軍旗背景のSAMSUNGの看板が著しく船の景観を損ねている。
 左側の青い建物は「ナヒーモフ海軍士官学校」。艦はここの士官候補生たちに依って維持されている。
 
 血の上の教会は1881年に暗殺されたアレクサンドル2世を弔うため、ロマノフ家が26年の歳月をかけて建立した教会である。ソ連時代は多くの迫害や被害を受けたが、体制崩壊後に27年間かけて修復し1997年に一般公開された。しかしロマノフ家の慰霊碑という理由でカテドラル(大聖堂)では無くモザイク博物館として再開されている。
「血の上の教会」は聖ワシリー寺院に似て、お伽(とぎ)の国の教会の様であった。そしてサグダラ・ファミリアのガウディもビックリする程の出来映えである。

「内陣」は金ピカで神々(こうごう)しく輝いていた。
 格調高い「イコン(聖人画)の祭壇」。
 天蓋(てんがい)に描かれた「イコン」。
 天窓に描かれた「イコン」。
 お伽の国の教会をバックにメタボな欧米人と「記念撮影」。
 
 エカテリーナ宮殿はエカテリーナ2世が建てた宮殿で、室内全体を琥珀で飾った「琥珀の間」が有ることで知られている。彼女は無能な夫ピョートル3世を暗殺したと言われ、ロマノフ朝の第8代ロシア皇帝(1762年〜1796年)となった。そして古来の悪習を改め啓蒙専制君主の女帝として新しい秩序の政治を行った。エカテリーナ1世と2世が同名なのは偶然である。
「エカテリーナ宮殿の門」。
「エカテリーナ宮殿の入口」に順番待ちの人が大勢並んでいた。
 写真撮影用の「貴族の服」を着た人が立っていた。有料でツーショットの撮影がして貰える。

 二階にある金色の「大広間」。江戸時代、カムチャッカに漂着した大黒屋光太夫がエカテリーナ2世に拝謁(はいえつ)し帰国の許しを得た場所である。

 西側の窓辺にある「まどろむキューピット」。 
 豪華な「食卓」とオランダ製の青い陶器のストーブ。
「エカテリーナ2世の肖像画」とストーブ。ストーブの焚き口は隣部屋にあり煙突は壁の中にある。
「ピョートル大帝の肖像画」。彼は2mを越す大男であった。
 残念ながら琥珀の間は「撮影禁止」であった。凡人故にその美観な装飾は文では表現できない。外に出ると雨が降っていて入場持ちの長い行列が出来ていた。
 
 スモーリヌイ修道院は18世紀に創設された修道院で、エカテリーナ2世がここに女学院を開きロシア女子教育の礎を築いた
「モスーリヌイ修道院」はイタリア生まれのロシア建築家ラストレッリの設計に依るもので、彼はエカテリーナ宮殿の建築も手掛けている。
 雄大荘重(ゆうだいそうちょう)な「バロック様式」の建物。色合いがエカテリーナ宮殿と似ている。
 バロック様式「万歳」。
 
 ネフスキー大通りはアレクサンドル・ネフスキー大修道院からモスクワ駅(サンクト・ペテルブルグ)を経て海軍省に至る、ご当地のメインストリートである。
 モスクワ駅前の「ヴォスターニャ広場」から海軍省に向かう。広場中央に第二次大戦の戦勝記念オベリスクが立っている。アレクサンドル・ネフスキー大修道院はここから1.5Km遠方にある。

 大形の「トロリーバス」が走っていた。
「横断歩道」の様子。
「歩道」の様子。
 ファンタンカ運河に架かるアニチコフ橋の「馬の調教師の像」。

「時計塔」があったが名称は不明。
 グリボエドフ運河の向こうに「血の上の教会」が見える。
 グリボエドフ運河の側にある「カザン寺院」はローマのサンピエトロ寺院を手本にし1801年に建設された教会。ナポレオンとの戦勝記念の建物。
 更に進むとバスの前方に「海軍省の塔」が見えた。
BACK NEXT