モスクワ(2) Slide show
 名所旧跡の建物は総じて新しく、レトロな深みは感じられないが見事な修復技術で格調高く、後世にも伝えられる造りになっている。ソビエト時代の軍事パレードで知られる赤の広場。赤の広場に繋(つな)がるマネージ広場。モスクワ随一の観光名所クレムリン09.8.9
 
 赤の広場はクレムリンに隣接する石畳の広場で、ソビエト時代にはメーデーや革命記念日に盛大なパレードが行われた。赤はロシア語で美しいと言う意味である。徒広(だだっぴろ)いだけの天安門広場とは異なり、周囲は美観な建物で囲まれている。
 広場南側出入り口の両側に「スパスカヤ塔」と「聖ワシリイ大聖堂」が建っている。
「スパスカヤ塔」には4個の大時計(直径6.12m)があり高さ67mで1491年に建設された。手前は「ナバトナヤ塔」右奥に「国立歴史博物館」が見える。
「聖ワシリイ大聖堂」はモスクワ大公のイワン雷帝が1560年モンゴルとの戦勝記念に建設した。ロシア寺院の特徴である屋根が雪が積もらない「タマネギ形」をしていて一番高い塔は47mある。

 広場の内側から見た「聖ワシリイ大聖堂」。1612年にポーランドからモスクワの奪回に貢献した「ミーニンとポジャルスキーの像」が立っている。
 クレムリンの城壁際にある「レーニン廟」はロシア革命指導者レーニンの遺体を安置してある。彼は1917年ロシア革命に成功し47才で指導者になったが53才の若さで死去した。大凡、歴史に名声を残す者は短命である。           

 赤の広場中央から南側を眺める。左から「聖ワシリイ大聖堂」「スパスカヤ塔」「レーニン廟」「赤色のクレムリンの城壁」と並んでいる。
 北側には左から「ニコリスカヤ塔」「角のアルセナリナヤ塔」「国立歴史博物館」「ヴァスクレセンスキー門」「グム百貨店」が並んでいる。
 広場の東側にあるモスクワを代表する「グム百貨店」。1893年に造られたロシアを代表する建築物で、百貨店内には200店舗が営業されている。

 店内中央にある「噴水」。通路には西欧のブランド店舗が並んでいたが買い物客は少なかった。
「国立歴史博物館」1881年に建てられ、旧モスクワ市庁舎であったが1997年に博物館として改修オープンした。中世ロシアの歴史と文化に関する資料が展示されている。
 国立歴史博物館の右隣にある17世紀に建てられた「ヴァスクレセンスキー門」。パレードの邪魔になるとして1931年スターリンに破壊されたが1995年に再建された。
 ヴァスクレセンスキー門の右側にある「カザンの聖母聖堂」。1632年、ポーランドからモスクワを奪回した記念に建てられた。1936年にスターリンに破壊されたが1993年に再建された。
 
 マネージ広場はモスクワの中心部にあり赤の広場と繋がる公園でソ連時代は革命広場と呼ばれた。広場の地下にはショッピングモールがある。
 マネージ広場側から見た「ヴァスクレセンスキー門」。スターリンは「戦車が通れない」としてこの門を破壊した。スターリンはパリを壊そうとしたヒトラーと同じ性格だったのであろう。

 門の前に緑色の小さな「イベルスカヤ礼拝堂」がある。
 礼拝室には沢山の「イコン(聖像)」が飾られ、多くの信者が祈りを捧げていた。宗教(信仰)とアヘンは別物である。
 門の前に「ロシア道路網の起点プレート」がある。ここにコインを投げると願い事が叶うと言われている。
 門前の通りには露店の「お土産屋」が並んでいた。ピンク色の明るい建物は「ホテル・モスクワ」で、旧革命広場はここから少し歩いた場所にある。
 国立歴史博物館の裏側にある「ジューコフ元帥の像」。対独戦勝50周年記念の1995年に立てられた。彼は農民の出身者で、勝利のためには兵士の消耗を全く恐れない冷酷さに、スターリンですら感銘を受けたとされている。恐ろしい話である。1974年に78才で死去した。
 
 クレムリンとはロシア語で「城塞」を意味し他の都市にも多数存在するが日本では「モスクワのクレムリン宮殿」を指すことが多い。かっては帝政ロシアの王朝府、ロシア革命後はソビエト最高会議場として用いらた。現在はロシアの大統領府と大統領官邸が置かれている。教会の多くはイタリア人が施工している。
 クレムリンの西側城壁外にある第二次大戦の「無名戦士の墓」。兵士を消耗品としたジューコフ元帥の作戦に因るものか、戦死者数は600万人と世界で一番多い。

「儀仗兵の交代」が行われていた。戦死者の多くは同じ年代の若者であったであろう…。
 お墓の並びにある「アレクサンドルフスキーの庭園」。背景はマネージ広場にある建物。
「トロイツカヤ塔」を通りクレムリンに入る。向かって左側が「国立クレムリン宮殿」右側は「旧兵器庫」。
「国立クレムリン宮殿」はソビエト時代に建設され共産党大会に使用された。現在は国際会議やボリショイ劇場の第二ステージに使われてる。
「旧兵器庫」は現在クレムリン警備隊の兵舎として使われている。その横にナポレオン軍から奪った「大砲」が並んでいた。奥に見えるのは「ニコリスカヤ塔」。

「ロシア大統領官邸(旧元老院)」は警備が厳重で路上の白線を越えて近づくと発砲されるそうだ。ソビエト時代は歴代のソ連指導者執務室が置かれた。
 クレムリンを守る「大砲の王様」。ブロンズ製で1794年にモスクワで鋳造された。砲身は全長5.3m、厚さ15p、口径89p、重量40tもあるが、一度も発射されたことは無い。弾の重さは1tもある。

「鐘の王様」1735年にクレムリン内で鋳造された。ブロンズ製で全高6.1m、直径6.6m、重量200tもある。火事で欠け落ちたアートな穴が素晴らしい。
「サボールナヤ広場」から見た教会。右手前が「ウスペンスキー大聖堂」左側が「アルハンゲルスキー大聖堂」中央奥が「ブラゴベシチェンスキー大聖堂」。写っていないがイヴァン大帝の鐘楼が左手前にある。
「ウスペンスキー大聖堂」はクレムリンの中央にある全高38メートルの大聖堂で、1475〜1479年にイタリア人が建築した。帝政時代は皇帝の戴冠式が挙行され、現在もロシア連邦大統領就任式に使われている。

 ウスペンスキー大聖堂の裏側に1484年ロシア人が建築した小さな「リゾポロジェーニエ聖堂」がある。大勢の観光客はウスペンスキー大聖堂内への見学者。
「アルハンゲルスキー大聖堂」1505〜1509年にイタリア人が建築した。イワン雷帝他歴代皇帝の納骨保管所となっている。
「ブラゴベシチェンスキー大聖堂」イワン雷帝の命で1484〜1489年にロシア人が建築した皇帝皇后の私的な教会。
 サボールナヤ広場の正面にある「イヴァン大帝の鐘楼」は1505〜1508年にイタリア人が建築、1532年に鐘楼が増築された。21個の鐘があり高さは81mある。

「武器庫」の出入り口。13〜18世紀の武具・武器、14〜19世紀の織物、宮廷衣装、ロマノフ家の馬車などクレムリンの至宝が展示してある。内部撮影は禁止であった。
 ポロヴィツカヤ塔にある「クレムリンの案内図」。門は地図上側のトロイツカヤ塔と下側ポロヴィツカヤ塔の二箇所ある。
 クレムリンの門がある「ポロヴィツカヤ塔」。
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