セ ビ リ ア Slide show
 人口70万人のスペイン南部の商工業と文化の中心地である。気候は温暖だが一日の寒暖の差が大きく夏は日差しが強い。8世紀からイスラムの支配を受け、13世紀にキリスト教徒の手に移った後、16世紀に新大陸からもたらされる金・銀でスペイン最大の商業都市に発展した。17世紀に欧州を襲ったペストの影響により人口が激減したが、19世紀後半、農産物市場の成長と関連産業の形成によって人口が急増し大都市化した。1992年には万国博覧会が開催された。同時にマドリード−セビリア間に新幹線(AVE)が開通した。黄金の塔 スペイン広場 ヒラルダの塔 カテドラル 07.12.22
 
 黄金の塔はグアダルキビール河岸、サン・テルモ橋のたもとにある正十二角形の塔で1220年に建設された。イスラム王国時代は監視塔として、ペドロ1世(1334-69)治世時は宝物の保管庫及び、牢獄として使われた。かつては塔の上部が金色の陶器煉瓦で覆われていた。目立たないが由緒ある塔のようだ。
 
 スペイン広場はマリア・ルイサ公園内に、1929年イベロ・アメリカ博覧会のスペイン館として建築家アニバル・ゴンザレスが作った。半円形のアーチの手すりの下にスペイン各県の特徴や主な歴史的出来事がタイル模様で58も並んでいる。
「正面広場」に観光客は大勢いたが、寒いので地元の人らしき姿は無かった。
 建物全体が半円形状に「アーチ」している。その手すりの下にあるタイルの絵を観光客が見物していた。
「タイルの絵」は綺麗な色で詳細に描かれている。
 
 ヒラルダの塔 ヒラルダとは人や動物の形をした風見鶏を意味する。かってはイスラム教寺院の尖塔(97.5m)で、現在セビリアのシンボルとなっている。そのあまりの見事さゆえにキリスト教の時代にも取り壊されず大聖堂の鐘楼に転用された。イスラムの時代には馬に乗って塔上まで登ったと言われている。地上70mのところにある展望台からは全市を眺め渡すことができる。
「ヒラルダの塔」はカテドラルの側に立っている。
 塔の横に「カテドラルの門」があり、入場者の行列ができていた。
 塔の先端にある信仰の勝利を表す「青銅像」が、風によって向きを変えることからヒラルダ(風見鶏)と名付けられた。
 
 カテドラル(大聖堂)はイスラム支配時代の大モスクを基礎に1402年に着工され、約1世紀の歳月をかけて建造された。この大聖堂はローマのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール大聖堂に次いで世界で3番目、スペインでは最大規模を誇る特筆すべき教会である。
「大聖堂」と言うに相応しい威風堂々な外観をしていた。
 ヒラルダの塔の横にあるカテドラルの門から入ると「広場」がある。
 堂内にはコロンブスの墓を担いだ4人の「スペイン国王の像」があった。彼が如何にスペインに貢献した人物であったのが伺える。

 聖母マリアを描いた「ステンドグラス」があった。この地方はキリストより、マリアさまの方が崇拝されている。
 キリストと聖母マリアの生涯を描いた「金色の祭壇」で45の場面が刻まれている。この膨大な黄金は新大陸を血塗れにし略奪して来た物であり、教会には相応しく無い。
 大聖堂の前で記念撮影。新大陸から略奪した莫大な黄金は、その後の戦乱でそのほとんどが列強国へ「持ち去られた」のだそうだ。
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