バ ル セ ロ ナ Slide show
 スペイン最大の港湾都市で人口は160万人、フランスとの国境に近い地中海沿岸に位置する。1939年から約40年間、フランコ恐怖政治の抑圧が続いたが、独裁者の死後バルセロナは文化的活動の中心となり、今日のように繁栄する都市となった。だが恐怖政治の後遺症か人々の表情は余り陽気に感じられなかった。1992年のバルセロナオリンピック開催地である。この町には建築家アントニ・ガウディ(1852-1926)の作品サグラダ・ファミリア教会、グエル邸、グエル公園などがあり世界遺産に登録されている。サグダラ・ファミリア グエル公園 市内観光 07.12.22
 
 サグラダ・ファミリァ(聖家族教会)は建築家アントニ・ガウディの設計で1882年に建設が始まり彼の死後も建設が続けられている。中世の大聖堂と同様に一般からの寄付によって財源をまかない2026年完成と予告されている。晩年の彼はこの建物の設計に没頭し、浮浪者の様な姿をして交通事故で他界(74才)した。
 フランクフルトで乗り継ぎ「バルセロナ空港」に到着。搭乗時間12時間の長旅で疲労困
 乗り継ぎがあると「荷物」が紛失していないか不安になる。
 翌朝サグラダ・ファミリァに向かう。途中「座薬」とあだ名されるトーレ・アグバールの超高層ビル(144.4m、38階)が見えた。これは2005年に建てられたバルセロナ「水道局のビル」である。

「サグラダ・ファミリァ」に到着、おとぎの国のお城の様であった。
 上部は沢山の「建設用クレーン」に取り囲まれていた。近過ぎて全体を撮し込めないのが残念…。

 真正面から見上げると「魔女の館」の様な奇怪な形をしている。
 入口の「キリスト像」が全裸なので顰蹙(ひんしゅく)をかっているそうだ。現地美人ガイドさんと並んで記念撮影する。

 内部には宗教画や像が無く「鯨の骨」の様な不思議な創りをしていた。
 サグラダ・ファミリァには「8本の塔」がある。エレベータで登り、窓から覗くと反対側にも同じ様な塔が建っていた。
 遠くに「座薬ビル」が見えた。
 超高層ビルのない「バルセロナの街並み」は落ち着いている。
 下りは「螺旋階段」を歩いて降りる。中心は真下まで落ちているので恐ろしい、壁際に張り付いて降りた。
 
 グエル公園はアントニ・ガウディがグエル伯爵に依頼されて設計した分譲住宅である。1900年から1914年の間に建造されたが買い手が付かず市の公園として1922年に寄付された。彼は「悪魔か天才か」と評されているがイタリアの重苦しい宗教芸術家とは異なり、おとぎ心に満ちた「夢見る天才」だったと思われる。
 公園の「正面入口」は遊園地に似ている。

「階段」を上がると建物がある。
 途中に「トカゲの噴水」が置かれていた。
 上から眺めると門の両側に「お菓子の家」が建っていて、正におとぎの国である。
 公園内の歩道に崩れ落ちそうに見える石造りの「アーケード」が建っていた。
 一時期ガウディが暮らしていた家で、今は「博物館」になっている。
 
 市内観光 ピカソ美術館入場と周辺散策をする。美術館は彼の若年と晩年の作品を中心に展示してある。見学するとサイケデリックな絵を描く以前から、彼は優れた画家だったのが分かる。ガウディ作のカサ・ミラ(1905-1907)を車窓から観光する。これは貴族の邸宅として建設された物だが現在は博物館になっている。次の宿泊地バレンシア(380Km 5H)までバスで移動する。
 美人ガイドさんと「ピカソ美術館内」で記念撮影する。
「美術館周辺」を散策する。寒いのか住人は余り陽気な顔をしていない。
「子供」がゲーム機らしきもので遊んでいた。子供も余り愛想が良くない。

 街中は「混雑」していた。
「カサ・ミラ」を車窓から眺める。一見何の変哲もない建物だがレッキとしたガウディ作の世界遺産である。

 クリスチャンの国だが目立つ程大きな「教会」は少ない。
「凱旋門」の側にレンタル自転車が並んでいた。
「コロンブスの塔(51m)」で天辺には新大陸を指さした彼の像が立っている。
 夕食にバレンシア名物「パエリア」が出る。米にサフランを加えて僅かに芯が残るようにす炊き上げたものだが、お味の方は忘れてしまった。ウェイターはイチロウ選手に似ていた。
BACK NEXT