グ ラ ナ ダ Slide show
 人口25万人の都市である。夏の暑さが厳しい南スペインに位置しているが、ムルハッセン山(3481m)からの雪解け水と、標高700メートル近い山間にあるので夏でも比較的過ごしやすい。産業はベガと呼ばれる肥沃な平野にポプラや果樹園タバコ畑などを栽培する農業と、アルハンブラ宮殿等の歴史遺産を活かした観光業が盛んである。また1531年創立のグラナダ大学(学生数約6万人)を擁する学生都市でもある。 都市の起源は「イベリス」と呼ばれたローマ時代の都市にさかのぼる。イスラム支配下の時代(711年〜)にその重要性を増し、1238年以降ナスル朝グラナダ王国の首都として繁栄を極め、アルハンブラ宮殿に代表されるイスラム文化が華ひらいた。1492年カトリックの王に陥落されるまでグラナダはスペイン・イスラム社会の首都として栄えた。スペイン内戦(1936年〜39)ではフランコの反乱軍によって共和国派の人々の弾圧が行われた。ヘネラリーフェ庭園 アルハンブラ宮殿 07.12.22
 
 ヘネラリーフェ庭園は歴代グラナダ王の夏季別荘で14世紀に整備された。一番奥に位置する「アセキアの中庭」は噴水のアーチと絶え間なく流れる中庭の水が当時の繁栄を物語っている。夏には花が庭一面に咲き優雅さが一段と増すのだそうだ。
 バレンシアから8時間のバス移動、宮殿近くのレストランで昼食する。隣の席に上流階級と思しき、ご家族が食事をしていた。特に「奥さん」には風格があった。

「上品な娘さん」も撮らせてもらう。
 親戚の「ご夫婦」も上品である。バルセロナの人々より明るい感じがした。
「庭園の入口」には大きな横文字が書かれている。
 庭園から少し離れた所に「アルハンブラ宮殿」が見えた。
 世界遺産「ルバイシン地区」の白壁の街並みも望める。

「ヘネラリーフェ離宮」は小規模な夏の宮殿で13世紀から14世紀にかけて造られた。清らかな水と花々が溢れる地上の楽園である。
 アセキアの中庭に豊かな水が噴き出していた。ギターの名曲「アルハンブラの思い出」は、庭園の噴水の音から生まれたと言われている。

 夏にはこの「植え込み」に満開の花が咲き誇るのだろう。
「白い回廊」の向こうにアルハンブレラ宮殿が見える。
「回廊の窓」から宮殿の塔が見えた。
 子供連れの観光客がいた。こちらは「一般庶民の装い」で、余り豊かな雰囲気では無かった。
 
 アルハンブラ宮殿はイスラムの叡智と技術によって築かれたこの宮殿は、他のヨーロッパの建築物にはない繊細な美しさにあふれ、現存するイスラム建築の最高峰と言われている。8世紀初頭からイベリア半島を支配していたイスラムは、その版図(はんど)をキリスト教国に追われ、最後に残ったのがグラナダ王国であった。1238年に建設が始まった宮殿は、260年間に渡ってキリスト教徒を退けた堅固な城塞でもあり、王族が暮らす豪華な館でもあった。その華やかさは、キリスト教国の支配者たちも魅了し、1492年にグラナダ王国を滅亡させた後も破壊せずに残した。アルハンブラは、アルカサバ、ナスル朝宮殿、ヘネラリフェ庭園、カルロス5世宮殿の4つの部分からなっている。アルハンブラ宮殿の中心部でイスラム文化の集大成といえるナスル朝宮殿を見学したが、イスラム特有のモスクは無く「ハーレム」があり宗教とは無縁の王侯貴族の宮殿であった。
「カルロス5世宮殿」の前を通ってナスル朝宮殿に向かう。
 宮殿の庭には「大砲」が列んでいた。
「メスアール(政庁)の間」は、王の政務や裁判が行なわれていたが、後に礼拝に使用されるようになった。壁面はアラベスク模様が描かれているほか、様々な装飾がなされている。

 アラヤネスの中庭の南側水面に写る「アラヤネス宮殿」。
 アラヤネスの中庭の北側水面に写る「コマーレスの塔」。
「ライオンの中庭」は王のハーレムで、中央にあるライオンの噴水は修理中であった。

 ライオンの中庭を「取り囲んだ建物」の2階に、王の寵愛を受けた女性達が住んでいた。
 宮殿からは夕陽に染まる「ルバイシン地区」の街並みが美しく望める。
 宮殿はライトアップされていない。住宅の「白壁と階段」だけが外灯に薄暗く照らされていた。
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