西 安 Slide show |
古(いにしえ)は長安と称された。紀元前11世紀から紀元10世紀中葉にかけて、前後して西周、秦、前漢、後漠、隋、唐など13の王朝がここを都とした。秦の始皇帝陵及び、兵馬俑は当時の代表的な遺跡である。名高いシルクロードは、ここ西安を出発点とし品質の良い中国産シルクと、スピードと持久力で優れたアラビア馬の交換から始まった貿易ルートである。市内観光 兵馬俑 華清池 慈恩寺 06.11.18
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夕刻、西安に到着する。空港通路をあか抜けした、中国航空の「スチュアーデス」がさっそうと歩いていた。 |
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ホテルの朝食はバイキング料理に焼きたての「卵焼き」が付いていた。 |
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「朝の市内」は自動車、バイク、自転車が沢山走っていた。建物や道路に北京と比べ田舎の雰囲気が残っている。 |
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「電チャリ」がバイクと並んで走っていた。電チャリは日本より沢山見かけたので、流行(はや)っているのであろう。 |
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「城壁」に上って見学する。これは明代に築かれたもので、長さは13.6Kmあり市内の一部を囲っている。唐代には40Kmもあったそうだ。この季節、朝夕は霧が立ちこめ遠方は霞んで見えた。 |
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陜西(せんせい)歴史博物館で兵馬俑から出土した貴重な「錆びない刀剣」を見学する。これは二千年も前の青銅製だが、当時の技術でクロームメッキされ輝いていた。 |
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日本最古の貨幣「和同開珎」のお宝も見学した。その他はレプリカばかりで、目を引くような展示物は無かった。 |
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西安良心堂店でA2サイズに描いた「天下雄関(1372年に建造された万里の長城最西の関所)」の絹刺繍を43万円の高額で購入した。この絵柄は久しく思い描いていた古き良き時代のシルクロードを描いたものである。いまは我が家唯一の家宝として額縁に入れ玄関に飾ってある。 |
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そのお店の日本語が上手な「店員さん」と購入記念撮影した。 |
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お世話になった「ガイドさん」と空港で記念撮影する。みんなサーズ予防の為か、大きなマスクをしていた。 |
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兵馬俑観光などを終え、翌朝もやに霞んだ西安空港から上海に向った。 |
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兵馬俑(へいばよう)は秦(紀元前221〜206年)の始皇帝への殉死を防ぐため、陵墓(りょうぼ)の周辺に埋納されたものである。始皇帝は錆びない刀剣と巧みな戦術で中国を平定し、万里の長城をつなぎ合わせた傑出の人物であったが、残虐非道な暴君でもあった。そして享楽好きが災いして49才で没した。秦の時代は僅か25年しか続かなかったが、その後2000年に渡る中国封建社会の政治的基礎を築き、その歴史に大きな影響を与えた。始皇帝は勝利の為には手段を選ばず敵を殺戮し、権力の誇示と後継者の安泰のために多数の人民を酷使して巨大な兵馬俑を作った。残虐非道な暴君とされたが味方を平服させ、敵を震撼(しんかん)させた偉大な戦略家である。秦が滅びた後は項羽に勝利した劉邦が漢王朝を成立させた。
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「兵馬俑入口」の様子。兵馬俑抗は全体が大きな屋根で覆われ、スタジアムの様である。 |
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一号抗を背景に警備兵の人と「笑顔に国境なし」の記念撮影をする。 |
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一体ずつ顔形が異なり、今にも「歩き出しそう」に立っている。 |
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正面の入口にある「見学台」に観光客が大勢集まって眺めていた。 |
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陳列館には保存状態の良い青銅製の「高車」が展示してあった。 |
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兵士と馬の両方が無傷の「兵馬俑」が陳列してあった。 |
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華清池(かせいち)は唐代(747年)に玄宗皇帝がこの温泉地に華清宮を作り、毎年冬から春にかけて楊貴妃を伴い、国事を疎かに酒楽の日に明け暮れした温泉郷である。玄宗皇帝が60歳の時、25歳の楊貴妃にうつつを抜かし、その間に安禄山が謀反を起こし楊貴妃は38才の若さで殺されてしまう。だが、玄宗はその後13年間も酒楽の日々を送り、78才まで生き延びたから幸運な人物である。安禄山とは楊貴妃の養子になった人物で、イランとトルコの混血児である。
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中庭からは「驪山(りざん)」1302mが見える。この山は1936年の西安事件で、蒋介石総統が捉えられたことで知られている。 |
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池の前の「華清宮」が建っていた。ここの建物は殆(ほとん)どが新築か大幅改修したものでレプリカである。 |
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「浴槽の跡」これは当時のままだが、今は単なる水たまりでお湯は入っていない。浅いので寝そべって入浴したのであろう。 |
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湯殿に玄宗皇帝と楊貴妃が辿(たど)った、色恋の顛末(てんまつ)を描いた額が並んでいた。これは「二人の別れの場面」である。 |
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温泉は無色透明だが、泉質は日本ではお目に掛かれない位「究めて良質」ある。入浴場を造れば、お肌スベスベで女性に人気が出るに間違いない。 |
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夕食に「楊貴妃宴」を食する。貴族の料理にしては内容が、意外な程質素であった。昔も美食はお肌に大敵なのが分かっていたのであろう。 |
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慈恩寺(じおんじ)は唐代(648年)の皇帝高宗が、亡くなった母を弔うために建立したお寺で、境内に本堂の大雄宝殿(だいゆうほうでん)がある。大雁塔(652年)は玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)の願いで建てられた塔で、その中にインドから持ち帰った多くの経典と仏像が安置してある。日本人観光客に人気のある大雁塔だが、経済貢献度が低いのか中国旅行業者は、ここを観光コースから外す傾向にある。
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「慈恩寺」の門を通って境内に入る。前の歩道に人が大勢歩いていた。 |
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境内に入ると直ぐに「お釈迦様の像」が置かれている。高さ64mの「大雁塔(だいがんとう)」は、境内の一番奥に聳(そびえ)立っている。 |
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慈恩寺の本堂、大雄宝殿(だいゆうほうでん)は「大雁塔」の手前に建っている。 |
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大雄宝殿では「僧正(そうじょう)」を中心にして厳かな法要が行われていた。 |
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