上 海 Slide show
 上海は中国一の大都市で世界的にも有名な国際都市である。豊富な観光資源と特色のある料理や娯楽施設が多く、中国の名高い歴史文化都市の1つにも指定されている。2003年の常住人口は1700万人で面積は日本の群馬県にほぼ等しい。中国最大の商業・金融・工業都市で、1人当たりGDPは香港以外では国内最高水準にある。現在の中国経済の成長により将来的に、上海経済がニューヨークやロンドン、東京と共に世界経済を牽引する、重要な位置を占めると注目されている。市内観光 豫園 上海老街 上海蟹 外灘 朱家角 リニアモーターカー 06.11.18
 
 市内観光 市内の様子を眺める。
 上海の「浦東空港(ほとうくうこう)」に着くと生憎の豪雨であった。
 車で「鳥居」を抜けて繁華街に入る。
 デパートの「宝石売場」には余りお客はいなかった。写真撮影は禁止らしく、迷惑そうな顔をしていた。

 デパートの窓から下を眺める。交差点や大通りにレプリカではあるが「古(いにしえ)の街並み」が見渡せた。
 広い「大通り」には人、自転車、自動車が沢山行き交っていた。
 昔構えの大きな宝石店があった。上海にはセレブが大勢いるのだろう。
 
 豫園(よえん)は1559年に建てられた江南の庭園である。アヘン戦争時に一部分が破壊されたが、その後商店街や学校等として使用され、1956年から修復作業が始まり30ヘクタールの庭園として今に至っている。
 可愛い「現地ガイドの蒋介えい」さんに案内され上海観光が始まる。

「看板」の下の門をくぐって豫園に入る。
 広い池に「橋」が掛かり「御殿」が沢山建っていた。
 昔はお大臣がこの「御殿」で夏の涼をとったのであろう。
「庭園」に雨が降り続いていた。
 社(やしろ)もあり、観光客が集まっていた。
 
 上海老街(しゃんはいらおじぇ)は古い街の意味である。街中に観光客が溢れていた。
 7年前から開発が始まり、古き良き時代の上海をかもし出す「家並み」が連なっている。

「上海蟹料理」のレストランがあった。
 商店街の「街並み」は整備され土産屋、骨董品店等の店舗が軒を並べていた。
 昔ながらの薬局もあった。
 道路を挟んで左側は「現代風の商店街」である。
 道路はドイツ車とリヤカーを牽いた自転車が走っていて、歩道には何とバイクが走っていた…。
 
 上海蟹(しゃんはいがに)とは俗称で正確にはシナモクズガニ。中国全土の海岸線から河川上流部分にかけて生息している淡水蟹で、長江下流の湖や支流で捕獲し上海から出荷されるモクズガニを上海蟹と言う。
 お茶の土産店でお茶を飲む、観光地の先々で毎回薦められるので皆「ゲンナリ」した顔をしていた。
 ガイドさんが「蟹の食べ方」を披露してくれた。先ずビニールの手袋をはめ、甲羅をバラバラにしてしゃぶる。次ぎに円卓にあるヤットコで足を挟んで、中身を引きずり出してしゃぶる。
 「上海蟹の大きさ」は日本の蟹の半分以下なので食べると言うよりは、しゃぶると言う感じであった。味の方はお好みである。
 
 外灘(わいたん)は上海にある中山東一路から中山東二路までの、黄浦江西岸沿いのエリアである。昔この一帯は租界(中国の主権が及ばない外国人居住区)地区であったことから「外国人の河岸」で「外灘」と名付けられた。現在は租界時代の西洋建築が並び、上海随一の観光エリアになっている。租界地区の始まりは清朝が1842年にイギリスとのアヘン戦争に破れ、南京条約により上海港の開港を強制された。その後上海には外国資本が流入し、国際貿易都市として経済、文化の面で大いに発展した。租界は1941年に全て日本に接収されたが、1945年日本の敗戦とともに中国に戻った。当時の建築は今も尚、荘厳な風格と共に外灘の歴史を伝えている。
 幸い雨が上がり、美しくライトアップされた「外灘のビル」を船着き場近くから見上げる。

 ナイトクルーズに出発、「外灘の街並み」を船上から眺める。
 
 日中の雨で空気が清浄され、昼間は見られなかった「絵の様な夜景」が望めた。
 
「外灘の夜景」は租界当時の重厚な建物を浮かび上がらせ、比類無く美しく素晴らしいの一言に尽きる。
 東方明珠(トン・ファン・ミン・ヂュー)は1994年末に完成した468bの「テレビ搭」で、東洋一の高さを誇っている。

「クルーズ船」もライトアップされ、幻想的に浮かび上がっていた。
 沢山の「クルーズ船」が行き交い、幻想的なナイトクルージングが繰り広げられる。
 観覧席に座り、約40分間のクルージングを満喫した。
「ガイドさん」と記念撮影する。当時は独身だったがその後ご結婚された。メールは繋がらないが今頃如何してるかな?
  
 朱家角(しゅかかく)は上海市内から30Kmの距離にあり、明清時代(1368〜1912年)に出来た江南の水郷である。
 ホテルの周辺には「高層ビル」が建ち並んでいた。
 ホテルから車に乗り1時間程で「朱家角の入口」に到着する。

 入口の駐車場には「土産店」が軒を連ねていた。
 
朱家角の名物は「粽(ちまき)と豚の角煮」である。ガイドさんが角煮をサービスしてくれたが、腹部不調で食べられなかった。

 そこから少し奥に「船着場」があり、そこから乗船する。
 風邪気味の人もいたが、皆さん「元気」そうであった。
 水郷には昔ながらの「お屋敷」が残っていて、観光用の屋形船が行き交っていた。
「放正橋」はその昔、僧侶の母親が、この運河で事故死したのを悼んで建てたと言われている。
「漁師の船」らしきものが走っていた。近くに淀山湖(ていざんこ)があり、そこからは魚やエビが捕れる。

 朱家角の「水郷風景」。
 船着き場辺りの「水路」は幅が狭い。
 更に進むと「水路」の幅が次第に広がっていく。

 船を降り陸に上がると細い長い「路地」があり、土産店が沢山並んでいた。
 ガイドさんが「友人同業者さん」と並んでツーショット、皆逞しく元気に働いていた。
「放正橋の上」でガイドさんと記念撮影した。
 
 リニアモーターカーの発着駅、龍陽路(ろんやんるー)駅へ向かう。リニアモーターカーの最高時速は431Kmで、ここから空港までの約30Kmを7分30秒で突っ走る。ドイツからの技術供与で運行を始めたそうだが、未だ仮営業の段階らしい。用地買収が容易な国なので将来は長距離運行を予定しているのであろうが、オリンピックに向けての工事はしていなかった。北京、西安、上海を駆け足で巡ったが、ここ上海が最も近代的で新旧が入り混じった印象的な観光地であった。お土産にテレサテンの中国語版CDを購入したがファンにはお勧めの一品である。
 雨が降り始めたので、高速道路からのビル街は霞んで見える。
 龍陽路駅の改札口は空いていた。
 リニアモーターカーが音もなく入線してきた。磁気浮上するのでレールは無く、一見モノレールに似ている。

 車体は「シンプルなデザイン」であり、このスタイルで400Km以上のスピードが出せるのは素晴らしい。
 車窓から遠くの高層ビルは見えたが、近くの住宅は後方に「吹き飛んでいった」。
「車内」の振動や騒音は飛行機より少なく、乗り心地は快適である。横幅が広く座席数も多かった。
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