北 京 Slide show
 北京は中華人民共和国の首都で中国共産党中央委員会の所在地。人口約1299万人、広さは日本の四国に相当する。行政機能が集積している他、故宮や天安門広場などがあり海外からの観光客も多く訪れる都市である。過去には南京が首都の時代もあったが、現在は台風と地震がない当地が首都として発展を続けている。2008年夏にはオリンピックが開催される。市民生活の実状は住民表所持者1350万人、流動人口350万人となっている。中央集権形の官僚天国な都市で一般市民は市役所に入れず、市民サービスは交番で行なっている。国際政治学科を卒業した北京のガイドさんは、民主党の前原議員を一ヶ月間に渡って北京を案内したことがあるそうだ。北京の大卒者は日本の十倍いるそうで、万事日本の十倍難しいと嘆いていた。景山公園 夕食 京劇 明の十三陵 七宝焼き 八達嶺 雑伎団 天安門広場 故宮博物館 06.11.18
 
 景山公園(けいざんこうえん)は故宮の北側にあり、高さ80mの人造山で山頂には万春亭が建っている。ここは風水説から故宮を守るため作られたもので、明・清時代は皇室庭園であった。
「北京上空」は霧が掛かった様に視界が悪い。この季節は風が吹かないので、この様な状態が続くのだそうだ。そして空港に着くと北京始まって以来の暑さで34℃もあった。

 オリンピックが近いので「マンション建設」のラッシュである。耐震強度に不安がありそうな建て方だが、地震の無い国なので問題ないのであろう。
 アジア風の雰囲気で立派な「ホテル」に到着する。部屋で着替えをして景山公園へ向かう。
 途中、信号を無視して「横断歩道」を渡っている市民を見かけた。みんなで渡れば怖くない。

「景山公園の入口」には地元の人もいた。見終わって帰るところかも知れない。
 上り坂の途中に、お宮の様に綺麗な「東屋(あずまや)」があった。
 頂上に近づくと「万春亭」が見えて来る。ここは北京市の中心点に当たり市内全体が一望できる。
 普段「故宮」は万春亭から真正面に見える。今はオリンピックに向け、正面は修復中で見えない様にしてあった。欧米人観光客が大勢眺めていた。

 もやで霞んだ「北京の落日」を鑑賞する。排気ガスの影響が大きい。
 故宮の反対側にも立派な「宮殿」が並んで建っていた。
 公園内にお茶の土産店があり「若い売り子」さんが大勢働いていた。
「音楽教室」もあって子供たちが、母親付き添いで特訓していた。みんながセレブを目指している様であった。
 
 夕食は宮廷にご招待された様な宮廷料理を食べた。
 レストランに入ると、美しい「侍女さん」の歓迎を受ける。
 円卓の上には豪華な「宮廷料理」が並べられ、給仕さんがお茶を入れてくれた。
「可愛い給仕さん」と記念撮影する。この後モデル料に、フクロウの七宝焼き楊枝入れ(1000円)をお土産に買った。今でも我が家の貧粗な食卓を飾っている。
 
 京劇は中国の伝統的な古典演劇である、戯曲(歌劇の一種のこと)の1つで主に北京と上海の二流派がある。
「役者さん」が化粧の方法を紹介していた。
 お面を被った様な「厚化粧」をしていた。
 舞台に近い「特別席」は、アクロバチックな作法で「茶の湯」が振る舞われる。

 特別席は「欧米人」で占められていた。彼らは一ヶ月位、長逗留して観光するそうだからスーパーセレブである。

 舞台では日本のスーパー歌舞伎に似た、動きの激しい「演舞」が披露される。
 ストーリーは単純だが、迫力に満ちた見事な「熱演」であった。
 
 明の十三陵 は市内から44キロ離れた昌平県の天寿山のふもとにあり、明朝時代の13人の皇帝の陵墓(りょうぼ)である。その中で地下から発掘された第13代の万暦帝と2人の皇后が葬られた地下宮殿の定陵(ていりょう)を観光する。
 定陵への入場門「重門」の前には中国の観光客が大勢歩いていた。

 重門には「定陵博物館」の看板が架かっていて、右側に入口がある。
 境内に入ると奥に定陵と書かれた「明楼」の楼閣が建っている。
 更に行くと「地下宮殿入口」がある。ここを入ると地下通路に降りる階段がある。中国の観光客が子供を大勢連れて見学に来ていた。

 地下宮殿は地下27mにあり、壁は綺麗な「漢白玉石」で出来ている。地下通路には「発掘品」が展示してあった。
 突き当たりの広間にレプリカ(複製)の「赤い棺」が展示してあった。
 
 七宝焼き(しっぽうやき)とは、壷などにガラス様あるいはエナメル様の美しい彩色を施した焼き物である。これは金、銀、銅などの金属製の下地の上に、ゆう薬(鉱物質の微粉末を水とフノリでペースト状にしたもの)を乗せたものを高温(800度前後)で焼く工芸技法で、中近東で生まれシルクロードを通って中国に伝わり、さらには日本にも伝わった。
 土産店で制作工程を見学する。「銅製の壷」に細かい加工を施していた。

 ゆう薬を使って「着色」する。
 
 見本を見ながら、「一品ずつ」丁寧に描いていた。
 
 着色し上がった物を、炉で真っ赤に焼き「焼成」する。手前の人が水らしき物をかけて冷やしていた。
 手の込んだ細工が施された大形の「七宝焼き」が並べてあった。同じ物もあるが全て手作業なので、お気に召せば「お土産」にお勧めである。
「可愛い店員さん」が装飾品なども販売していた。
 
 八達嶺(はったつれい)は万里の長城の一部であり、入口からロープウエイ山頂駅までは歩いて往復一時間半ほどかかる。
 現地写真屋さんでツアーメンバーの「記念写真」を撮った。
「現地ガイドさん」と一緒に列んで記念撮影する。後ろの山に、オリンピックに向けてのスローガンが書かれていた。

 大勢の観光客が「写真撮影」していた。右手の一番高い各台(とんだい)がここの頂上である。
 急な昇り坂を「老夫婦」が元気に歩いていた。
 お天気が良いので道は満員であった。
 山頂の各台まで「ロープウエイ」が牽かれている。時間不足で頂上まで行けなくて残念…。
  
 雑伎団(ざつぎだん)は京劇をアクロバティックにサーカス化したショーである。
 華やかな踊りと、かるわざをミックスした舞台で「熱演」が繰り広げられる。

「幻想的」なシーンもあった。
 
 男性による「アクロバチック」な演技に観客から拍手が湧いた。
 
「フィナーレ」は男女による、息を呑むような技が披露され、観客からヤンヤの喝采と拍手が続いた。
 夕食に「北京ダック」を食べた。ダックは配膳前に調理人が粉切れにするので食べる時はその形を拝めない。味は珍味で日本のチキンより淡泊である。
 足裏マッサージをする。可愛い女性マッサージ師に当たってラッキーであった。男性マッサージ師は力がありすぎて老体には効きすぎる。何処の職場も、若い女性が大勢進出し明るく華やいだ雰囲気であった。
 
 天安門広場を見学する。天安門は明代(1417年)に創建されたが、現在のものは清代(1651年)に建て替えられた、国家権力を象徴する広場である。南北880m、東西500mの世界最大の広場で、敷石は花崗岩で出来ている。
 日本と違い「環状道路」は、片側4車線あって信号機がほとんど無く、高速道路並であった。通勤時間帯の道路は混雑していた。

 北京市内観光を兼ねて地下鉄を利用した。「地下鉄駅」は殺風景で駅名表示が無かった。
「ホーム」下りると建国門の表示があった。
 通勤時間帯の「地下鉄車内」は日本と同じく満員であった。
「天安門」前を走る北京一の大通り「長安路」を隔てて、天安門広場がある。大通りには自転車と車が沢山走っていた。
「天安門広場」広すぎて遠くはもやに霞んでいた。ここには水を流せる溝があり、大人数の集会等がある際は、蓋を開けて臨時のトイレとして使用する。

遠くに霞んで立っている塔が「人民英雄紀念碑」、その後ろに「毛主席紀念堂」が建っている。

 中国人の「観光客」も大勢訪れていた。
 天安門に飾られた毛主席の肖像を挟んで「日中友好」の記念撮影をした。
 
 故宮博物館(紫禁城)は元代に造られたが明の成祖永楽帝が改築(1406年)し北京遷都(1421年)後、清が滅亡(1912年)するまで宮殿として使われた。現在は故宮博物館となっている。オリンピックに向けての改修工事中で、メインの大和殿などはシートで覆われ見ることが出来なかった。
「天安門」に架かっている毛主席は現在でも農民層に人気が高いそうだ。

 天安門を通って「少し歩く」と故宮正面門に着く。
 故宮正面門の広場で「中国人の家族」が記念撮影していた。
 朱色の壁の中央にある通路が「出入口」で、昔は皇帝のみが通った門である。左右の門は貴族や役人が通った。

 故宮の正面門は「午門」と呼ばれ内に入ると「大きな広場」がある。
 広場の「石畳」は大分傷んでいた。その昔、この広場で壮大な宮廷絵巻が繰り広げられたのであろう。
 修復済みの朱色の「宮殿」は見事な装飾が施されている。
 大和殿が工事中のため、同じ様な「宮殿」や「階段」を見て回った。
 朱色の壁が続く「長西街」は、映画「ラストエンペラー」に登場した通りである。

 宝物殿近くにある「黄金の狛犬」。
 宝物殿に展示してあった「黄金の宝物」。紫禁城の財宝は台湾へ持ち去られ、これ以外に目を引くような展示品は無かった。

 故宮の土産店で、ラストエンペラーの血筋に当たる書家が書いた「掛け軸」を記念に購入(3万円)した。
 海外からの国賓警備に「警官」が大勢並んでいた。防寒コートのサイズが大き過ぎて、やや精悍さに欠けている。
 道路には「白バイ」が警備していた。
次の観光地の西安へ向かう。北京空港の「国内線出発ロビー」は混雑していた。
BACK NEXT