シェムリアップ Slide show
 アンコールワット観光の拠点となる町で、カンボジアの首都プノンペンから北西250kmに位置し日本より2時間遅れの時差がある。ご当地の名産品は絹織物である。空港 ホテル 道路 土産店 プノンバケン山 住居 ココナッツ椰子 アプサラダンス アンコール保存事務所 日本食レストラン 市場
 
 空港 アンコールワットへはベトナムのホーチミン空港で乗り継ぎシェムリアップ空港から入国する。シェムリアップ空港の出国手荷物検査は厳しく、市場で買ったお土産品を没収されていた観光客もいたから機内への持ち込みは要注意である。06.5.10
 上空から眺めるベトナムの「ホーチミン市街」は見渡す限りに住宅や建物が立ち並び、ベトナム戦争映画の暗いイメージとは全く異なって目を見張るばかりであった。
「ホーチミン空港」に到着、通路を抜けて空港内広間に入る。左側の窓際沿いに観光客の列があるので、そこに並べば言葉が分からなくても乗り継げる。男性の係り員は軍服らしき姿なので緊張したが無事にチェックインできた。

 一安心してテレビモニターで搭乗時間を確かめる。広い「待合室」にはバーバリーなど、ブランド物の免税店が並んでいる。スマートで可愛い売り子さんが立っていた。
「土産店」コーヒーショップ、食堂なども沢山あって、とてもここがホーチミンとは思えなかった。「陽気な売り子さん」がダベッテいた。

 ベトナム航空の「スチュワーデス」はスマートで美人だが、取っ付きにくそうだった。
 乗り継ぎ案内の「女性係員」はスマートで親切だった。
 1時間くらい飛行して無事「シェムリアップ空港」に到着する。カンボジアへの入国にはビザが必要である。ここは入国審査ゲートの少ない小さいな空港で、審査官はノンビリと出入国カードを審査し顔写真も撮る。しかし軍服姿の警備員が大勢いて、観光客がゲートで記念写真を撮っているのを大声で注意していた。
 何処の国もテロ警備に神経を使っているのが伺える。順番待ちを含め入国審査に1時間近く要し「空港出口」で現地ガイドさんに会う頃は夕方になっていた。外では夕涼みの地元民が道路に座っていた。
 帰りのシェムリアップ空港「待合室」。土産店が1つあるだけで狭い。帰途は馴れもあって乗り継ぎは比較的容易であったが、手荷物検査は厳しく何が悪いのかは不明だが鞄を開けさせられた。
 
 ホテルの朝食は中華風バイキングである。昼、夕食は外のレストランで食事した。地元産のアンコールビール(1.5$)は美味しかったが、タイ産のビール(2$)は頂けない味であった。レストランの料理はホテルと同じ中華風で献立は野菜と川魚で味はお好みである。06.5.11
 宿泊した豪華五ツ星の「ホテル」には大きなプールもあったが、日差しが強く暑すぎるので誰も泳いでいなかった。
 ロビーには何時も木琴の生演奏が静かに流れている。「麗人」の奏でる優雅な調べに耳を傾ければ、古き良き時代のアンコール王朝が忍ばれる。
 ホテルの朝食は野菜の多い中華風バイキング料理である。コックさんが作る順番待ちの卵料理が一番美味しかった。若く「可愛い給仕さん」と並んで撮らせて貰う。
 
 道路には公共のバスや電車は走っていない。酔っぱらい運転の事故も多いそうだ。中古自動車は日本円で60万円、新車は400万円と高額である。現在ガソリン代が値上がりし1リットルで140円している。一般労働者の年収は30万円位で日本の1/10と低額だが、外食のカンボジア料理は1皿約150円位なので生活出来るのだろう。交通信号機は州内に3つしか無いが幹線道路は綺麗に舗装され車線は広く何処までも一直線で高速道路並に快適な乗り心地であった。06.5.11
「バイク」はほとんど100cc前後の日本製で1000$(12万円)位する。

 バイクは無免許で「何人乗り?」してもOKなのだそうだ。
 交通手段はバイクや「トラック」、バイクタクシーである。
 人や荷物をトラックに、無理矢理沢山「詰め込んで」走っていた。
「バイクタクシー」は人力車に似ている。
「ツアーの車」は日本製のジーゼル車で、ナンバープレートは未交付であった。
 
 土産店へ経済貢献所に立ち寄る。店内には沢山の仏像が整然と並べられていてマニアには一見の価値がある。中国の様にマンツーマンの押し売り販売はなかったので助かった。
 この「土産店」ではカンボジア特産の銀製品や仏像、宝石などを販売している。
「お店の中」は広く綺麗である。店員さんの前にあるショーケースには身障者の制作した指輪などが並んでいた。

 若い「店員さん」を撮影させて貰う。
 お土産品の「仏像」が並んでいた。
「銀製品」も沢山あったがカンボジアは銀産出国ではないから加工して販売しているのであろう。
 ビールも売っていてレストランの半額(0.7$)で買えた。「アンコールビール」は美味しいので水代わりにお勧めである。
 
 プノンバケン山に大勢の観光客がここからの夕陽を眺めようと登っていた。しかし、雨期が近く朝夕は何時も曇りがちで残念ながら朝日も夕陽も拝めなかった。06.5.11
 夕方近くにプノンバケン山(高さ65m)ので「こぼこ山道」を登る
 山道の途中に「可愛い子供」が座っていたが身なりが良いので観光客の子供である。
 山頂には「プノンバケン遺跡」がある。この遺跡の急な階段を登ると、シェムリアップ州が一望できる場所に着く。

 遺跡の上ではアンコールワットの「落日鑑賞」をする為、大勢の観光客が座っていた。
「若いお坊さん」も来ていた。
 ここから眺める「アンコールワット遺跡」は森林に覆われ遠すぎて良く見えなかった。
 
 住居は高温多湿地帯なので田舎の住宅は全て床上式住居である。06.5.11
「床上式住居」の床下に台所用品が置いてある。
 大きな窓?のある住居だが扉がないから雨の日はどうなるのだろう。
「家族」がノンビリと暑さを凌いでいた。
 
 ココナッツ椰子で家族が砂糖を作っていた。椰子の実も売っていたので食べさせてもらったが何の味もしなかった。水代わりの食べ物らしい。06.5.11
「家族の住居」
 ココナッツ椰子の果汁を煮詰めて「砂糖汁」を作る。

 それを「形に流し込んで」固めていた。
 子供たちは皆「元気で可愛い」。
 将来ミスカンボジアになれそうな、「素晴らしい笑顔」があった。
 ガイドさん(左)と運転手さんに「臨時店員」になってもらった。今も忙しく走り回っているのであろう。
 
 アプサラダンス(宮廷舞踊)はヒンドゥー教の影響を受けた踊りで頭にきらびやかな金色の尖った冠を被り、胴体は薄い生地をまとい指を反らし両腕を蛇のように動かし腰を低く下げゆっくりと舞う。06.5.11
 舞台は冷房の無い屋根付き野外「大食堂」の前にある。

 始めに素朴な衣装の熱気ある「民衆舞踊」を鑑賞する。
 衣装変えして別の「民衆舞踊」も熱演してくれた。
 続いて「アプサラダンス」が披露される。
「踊り子」は、指を反らし両腕を蛇のように動かし膝まずく様な姿勢で踊っていた。
 美しい衣装と見事な踊りで観客を「魅了」し暑さを忘れさせる。
 
 アンコール保存事務所は主に盗掘品を回収保存してある。頭だけや胴体のない仏像が沢山あった。06.5.11
「事務所の入口」
「シアヌーク殿下」の写真が飾ってあった。

 内部は南国風の「広場」になっている。
 仁王像の様な「大仏」が立っていた。
「頭のない仏像」が沢山保存されていた。
「頭だけ」が並んでいた。これだけでもコレクターには値打ちがあるのだろう。「罰が当たる」と言う概念は無いようだ。
 
 日本食レストランの店長は日本人で幕の内弁当を食べたが味も食材も日本の駅弁と同じで美味しかった。06.5.11
 日本食レストラン「月のにじ」は大きく立派であった。
 日本人「店長」はここに移住し「現地スタッフ」一同と共に働いている。
 店長とツアーメンバーの「集合写真」を撮る。オーナー目指して頑張って下さい。
 
 市場を市場を案内してもらう。ここにガイドさんのお嫁さんが働いている06.5.11
「新婚ホヤホヤ」でお目出度間近、向かい側に妹さんのお店があり、それが馴れ初めなのだそうだ。二軒とも衣料品を扱っていた、お土産に1枚2$のTシャツを2枚購入した。

「お嫁さんと妹さん」の写真を撮る。マフラーも売っていたが、あんなに暑い国で何故マフラーなのか、今思えば不思議だ。
「魚屋」で大きな魚を売っていた。トレサップ湖で捕れたのかも知れない。肉屋、八百屋など衣食住に必要なあらゆる商品が山の様に並んでいて食堂もあった。
 肉屋に「ソーセージ」がぶら下がっていた。市場は屋根があり薄暗く風通しも良くないのだが、それ程暑く無い。

 冷蔵庫は見当たらなかったから「生肉」当日売り切りなのであろう。
 果物屋には「バナナと西瓜」が沢山並んでいた。
 八百屋には「日本と同じ野菜」が沢山あった。
「赤ちゃん」を連れて漬け物らしき品を売っていた。

 食堂で女性が「美味しそう」に食べていた。
「男性客」のいる食堂もあったが、お酒は無いようである。
 男性はゲームや昼寝をしている。「男は怠け者」なのかも知れない。
 市場の外は暑いので、食品店は無く「雑貨店」が並んでいた。贅沢を言わなければ物価高な日本より生活し易いだろう。
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