オ ー ス ト リ ア
 成田12.11.17 (12H)⇒ ウイーン ⇒(1H)⇒ インスブルック ⇒ スチューバイ(ノイシュティフト)11.18~20 ザルツブルグ ⇒ スチューバイ11.21~23 ⇒ インスブルック ⇒(1H)⇒ ウイーン ⇒ 機中泊11.24 ⇒(11H)⇒ 成田11.25
(**H)は空路  赤字は観光地  青地は出発宿泊帰着日
 オーストリア(共和国)の面積は北海道程の広さで、人口(840万)は大阪府と同じ位である。首都はウィーン、言語はドイツ語、宗教はキリスト教である。第1次世界大戦でフランス、ロシア、イギリスの連合国に敗れ50年間続いたハプスブルク帝国は崩壊し共和制の国になった。その後も7年間ナチス・ドイツに併合させられたが第2次世界大戦後、永世中立国を宣言し国連に加盟した。EU加盟国で通貨はユーロである。「永世中立」(えいせいちゅうりつ)とは国際法上、他の諸国家間の戦争に関係しない義務を負い、かつ、その独立と領土の保全とが他の諸国家によって保障されている国でありスイスもそれに相当する。日本は他の諸国が安全を保障しないから「戦争放棄」をうたっても永世中立国にはなれない。オーストリアを訪れるのは2度目だが、今回はスキースクール主催の11月初すべりスキーツアーに参加しオーストリアのスチューバイスキー場に行った。このスキー場は標高が3000mもあり高山病に生り易い体質なのでモウロウ状態になり滑走初日にデジタルカメラを紛失してしまった。幸い予備のフイルムカメラを持参していたのでそれを使って撮影した。5日目にはザルツブルグを一日観光しモーツワルトの住んでいた建物などを観て周った。生にく曇天だったのでフィルムの良さを生かしきれずピンボケを連発させたがそれなりには何とか撮れていた。今回のスキーツアーで最良の思いでは1984年のサラエボ冬季オリンピック大回転銀メダリストの「ユーリ・フランコ」氏(スロベニア)とスキートレインできたことである。不整地の中斜面だったがスピードとコースを私のレベルに合わせてくれたので滑り易く一気に上達した気分になり感謝感激した。帰国してからもfacebookでお友達にしてもらった。彼は20年間も日本で過ごした時期があり日本語の上手な気さくな人であった。人生長く生きていると予想もできない幸運な出会いがあるものだとつくづく感じた。神様がすべり納めの近い高齢の私にお引き合わせのプレゼントをしてくれたのであろう。渡航日2012.11.17~11.25 9日間
 スキーゲレンデ内にある人気の「ドレスデンコテージ」をバックに「団体記念写真」。
 1984年のサラエボ(ユーゴスラビア)冬季オリンピック大回転銀メダリストの「ユーリ・フランコ」(スロベニア)氏のと貴重なツーショット。
 ザツブルク城から眺めた「ザルツブルグの街並み」。
 
 スチューバイスキー場 詳細名称はスチューバイタールスキー場でインスブルックから車で約一時間の距離にありオーストリアを代表する氷河スキー場である。ゲレンデはシャウフェルシュピッツェの山頂(3333m)から中腹にあるゴンドラ駅(2300m)の間の氷河を滑るもので日本の狭いスキー場とは異なり遥かに雄大である。そして氷河の上に降雪機が設置されているので11月の降雪が少ない時期でもアイスバーンにはならない。不整地の急斜面は少なく整地されたコースはただひたすら長く広大なので初心者でも楽に滑り降りて来れる。ただ富士山と同じ高さにあるので私の様な高山病になり易い人には余りお勧めできない。レストランやゴンドラ、リフトは完備されスキーツアーのお仲間は昼食にビールやワインを飲みながらリッチな雰囲気で優雅なスキーを満喫していた。オーストリアがアルペン競技で強いのはこのような恵まれた環境にあるがゆえであろう。
「ウイーン上空」。幸運にもフイルムカメラで撮影してあった。
 ウイーンの「田園風景」。次の日にスキー場でデジカメを紛失してしまった。
 チロル地方にあるノイシュテェフトの「ホテル アウガルテン」に宿泊した。ここは標高1000mの高所にある。

「ホテル経営者のご家族」と並んで写真を撮った。
 客室の「大きなベッド」。
「客室」は広いが。風呂はシャワーのみでバスタブのないのが難点。

 ホテルの近くにある「教会」。
 ふもとからゲレンデに上がる「ゴンドラ」。

「ゴンドラ」は山の中腹まで続いている。
 ゴンドラを降りて「リフト」に乗り継ぐ。

 山頂への「リフト乗り場」。
 山頂への「リフト」。
 
「ツアーメンバー全員集合記念写真」。左端の人は違うかも…。

「ゴンドラ」をバックに記念写真。
 ゲレンデ内にある人気の「ドレスデンコテージ」をバックに記念写真。
「ユーリ・フランコ」さんとの貴重なツーショット。スキートレインさせて頂き感謝感激した。詳細リンク

「ユーリ・フランコ」さんの写真。現在もFBでお友達 詳細リンク
「カール(氷河地形)」にあるゲレンデ。
「Tバー」もあったがに乗っているスキーヤーはいなかった。

 何処までも果てしなく続く広大な「ゲレンデ」。
 山の上部は11月の雪不足雪で岩肌がむき出していた。
 見渡す限り「白銀の世界」。若干岩肌も見えるが…。
 5日間滑って「インスブルック飛行場」から帰路に着く。
 雄大な「オーストリア・アルプスの峰々」。見納なので感無量の思いだった。
 
 ザルツブルグは「アマデウス・モーツァルト」が1756年に誕生してから25歳まで住んでいたところで音楽を愛する世界の人々にとって巡礼地になっている。また映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台となった場所でもある。
「ザルツブルグの街中」に入ると道路は混雑していた。
「横断歩道」を渡る人々。
 サウンド・オブ・ミュージックのロケ地となった「ミラベル庭園」を見学する。

 庭園は華麗で広い「花壇」があった。
 庭園の奥に「ミラベル宮殿」が見えた。
 庭園を出ると「トロリーバス」が走っていた。

 市内を流れる「ザルツァッハ川」。丘の上に「ホーエンザルツブルク城塞」が見えた。
 ザルツァッハ川を飛ぶ「カモメに似た水鳥」。
 川に架かる「マカルト橋」を歩く少女。手すりの網に「誓いの鍵」が沢山下がっていた。

 市内を歩く「親子」。

「老夫婦」。
「若者」。
「お惣菜店」。
「モーツワルトの生家」。レオポルト・モーツァルトの一家はこの建物の2階に1747年から26年間住んでいた。
「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」は1756年1月27日にここで誕生した。今は博物館になっている。

 このレストランで昼食し「ザルツブルグ観光記念写真」を撮ったがピンボケだった…。
「ザルツブルグ大聖堂」の前にある「スケートリンク」。女の子が二人で滑っていた。
 ヨーロッパ有数の歴史を誇る「大聖堂」で744年に建てられたが、第二次大戦で爆撃を受け1959年に改修された。

「1万人を収容」できる大聖堂でヨーロッパ最大級のパイプオルガンがある。金の玉に乗った男は単なるアート作品。

 大聖堂内にある荘厳な「礼拝室」。
 金の玉の上の方に建っているのが「ホーエンザルツブルク城」。
 ホーエンザルツブルク城から眺めた「ザルツブルグの街並み」。

 城内の「礼拝堂」。
 城を出て「街中」に下る。
「双子の赤ちゃん」が大きなベビーカーに乗っていた。

 トロリーバスと「足の長い女性」。
 横断歩道を「渡る人々」。
 オーストリアとドイツの「国境に架かる橋」を渡ってキッツベールに向かう。
 キッツベールはザルツブルグとインスブルックの中間にある。遠くに「岩峰」が見えた。
 キッツベールにある赤い花で飾られた「トニーザイラーのお墓」。彼は2009年73歳で病死した。
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