コヒマール Slide show |
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ホテル・ナシオナルの「朝食」の様子。白人の観光客が大勢食事をしていてメキシコのホテルより格調が高く感じられる。 |
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「ホテルのロビー」には出発待ちの観光客が大勢いた。 |
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ホテル周辺の道路を走る「乗り合いバス」。スクラップ寸前のような年代ものである。 |
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「スクールバス」と表示されているが労働者風の人が乗り込んでいた。 |
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クラシカルで「頑丈そうなタクシー」がお客を下ろしていた。 |
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クラシカルな車に混じって「韓国製の新車」が走っていた。 |
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年代ものを通り越した「ポンコツのサイドカー」が走っていた。 |
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市民が「飲食店の前」でバスを待っていた。何故か表情に乏しくラテンな雰囲気はしない。 |
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「ハバナの病院」。キューバの平均寿命は76歳でメキシコの47歳を大きく上回っている。医療水準は高く先進諸国から「ヘルスツアー」で多くの患者が訪れている。 |
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小奇麗な「高層団地」。道路にゴミがなく清潔である。 |
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レストランにいた「観光客の家族」。みんな楽しそうでラテンな表情をしている。 |
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ラム酒博物館の「ジオラマ」。ラム酒はサトウキビから造られる度数50%の蒸留酒で「ハバナ・クラブ」がブランドである。 |
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博物館内の「バーのマスター」。鋭い目つきに風格がある。 |
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ヘミングウエイが通ったレストラン「ボデギータ・デル・メディオ」で夕食をする。 |
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店内のカウンターにヘミングウェイが好んだ「モヒート」のカクテルグラスが置いてあった。 |
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「皿に盛った料理」をみんなで分けて食べる。左の黒豆ご飯はキューバの定番料理「コングリ」。 |
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レストランの「美人ウエイトレス」さん。ここのお店の人たちは陽気であった。 |
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コロンビアからきた美人の「ダイアナ」さん。日本に行って見たいと話していた。モヒートでなく「コーラ」を飲んでいた。 |
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革命広場は1959年のキューバ革命を期して造られた広場でハバナの新市街と旧市街の間にある。 |
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高さ142mの「ホセ・マルティ記念塔」。塔の前が革命広場で背部は公園になっている。ゲバラよりマルティの方が格が高いようだ。 |
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ホセ・マルティ記念塔側から見た革命広場。左は内務省で「ゲバラの壁画」があり、右は情報通信省で革命に貢献した「カミーロ・シエンフェゴスの壁画」の壁画がある。 |
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ゲバラの壁画をバックに「革命広場で記念撮影」する。何処にもカストロの肖像はなかった。 |
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ヘミングウエイ博物館 彼はアメリカのシカゴで生まれで、結婚離婚を4回も繰り返しここでは三度目の妻マーサ・ゲルホーン、四度目の妻メアリ−・ウオルシュと約20年間暮らした。趣味は釣りと狩猟でアフリカで殺した動物頭部の剥製が沢山飾られていた。動物愛護の観点から慈愛に満ちた性格だったとは言い難く、そううつ気質で凡人には理解できない文豪だったようである。1954年の55歳に「老人と海」でノーベル文学賞を受賞したが1959年にアメリカに戻り61歳の1961年に自殺した。 |
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博物館の敷地は広く入り口に金網の「大きな扉」がある。 |
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中に入ると木に覆われた「白い建物」があった。ここは別名白亜の邸宅「フィンカ・ビヒア」と呼ばれている。 |
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「正面玄関」の様子。外観は少し痛んでいる。ここは「誰がために鐘は鳴る」の売り上げでフランス人から購入した。 |
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室内は広く綺麗に整備されている。「動物の頭」が沢山並んでいた。夜間は不気味であろう。 |
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「リビング」の様子。観光客は室内に直接入ることはできない。 |
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「ベランダ」の様子。南国らしい赤い花が咲いていた。 |
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「コレクションルーム」の壁に「バッファロー」のような黒い動物の頭部が飾られている。 |
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テーブルの上に「猟銃の弾」が並んでいた。銃は置いてなかったからアメリカに持ち帰ったのであろう。 |
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机の上の右端に「ピューマ」のような猛獣の頭部が置いてあった。床には「チータ」の毛皮が置いてある。 |
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「寝室」があった。ここで三度目、四度目の妻と20年間暮らした。 |
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食器の並んだ「ダイニングルーム」。台所は見あたらなかった。 |
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「係りの人」に写真を撮らせて貰った。彼は使用人を9人も雇っていた。 |
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シンプルな書斎には「タイプライター」と「望遠鏡」が置いてあった。ヘミングウエイはこのタイプライターで「誰がために鐘は鳴る」と「老人と海」を執筆した。 |
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窓から「海」が見えた。彼はここからコヒマールの港に向かい、愛艇ピラール号に乗ってカジキ釣りを楽しんだ。 |
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振り返ると「書斎のある建物」が見えた。この三階の窓から海を眺めながら執筆したのであろう。 |
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ハリウッド女優の「エヴァ・ガードナー」が裸で泳いだとされる「プール」があった。 |
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愛艇「ピラール号」が保管されていた。1940年代には猫52匹、犬16匹、鳩299羽、牛3頭、そして妻一人と住んでいた。 |
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コヒマール ミングウェイはここで「ピラール号」に乗り釣りを楽しみ、レストラン「ラ・テラーサ」で食事をした。悠々自適な生活を送った彼はキューバ革命後にここを離れアメリカのアイダホ州に移ったがノイローゼになり2年後に自殺した。 |
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ラ・テラーサは二階建ての「小ぶりなレストラン」である。 |
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このテーブルが「ヘングウェイの定席」で窓の側に彼の像が置いてあった。 |
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奥の壁には「ヘミングウエイの写真」が飾ってあった。 |
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「パエリアと白身魚」の料理。お味は忘れてしまった。 |
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「要塞」の後ろにヘミングウエイの記念碑がある。住民がギターを弾いていた。 |
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「ヘミングウエイの記念碑」は地元の猟師に依って建てられた。 |
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モロ要塞はハバナ港を防衛するための要塞でエントラーダ運河の入口に1589年〜1610年の間に建設された。イギリスの海賊から攻撃を防ぐため城壁の高さは20mあり運河を往来する船を管理するためにモロ要塞とブンタ要塞の間は太い鎖が渡されていた。要塞の必要性がなくなってからは牢獄として使用され現在は灯台として使用されている。
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要塞の入り口周辺にある「土産店」。店員が暇そうに座り込んでいた。 |
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「エントラーダ運河」を挟んで対岸にある「ブンタ要塞」の跡地。平地で公園のようになっている。後方にハバナ市街が見える。 |
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ブンタ要塞の方向に向かって「大砲」が据えられていた。 |
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対岸に見える「ハバナ市街地」。左奥に「ハバナ港」がある。 |
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左隣に見える「カバーニャ要塞」はモロ要塞の補強に使われた。 |
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「帆船の模型」が飾ってあった。絵より帆の数が少ないから近海航行用であろう。 |
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スペインからキューバへの「航路図」があった。コロンブスの乗ったキャラベル船は三角帆を用いて逆風でも前進し動力がなくとも同じ航路を往復できた。 |
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出口に停車していた赤い「オープンカー」。白タクなのか客待ちしているようであった。 |
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ブンタ要塞側から見た「モロ要塞」。「キューバ国旗」が風になびいていた。 |
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アルマス広場は運河に面した通りから少し奥に入った場所にある小さな広場で中央に独立戦争の父カルロス・マニュエル・セスペデスの白い像が立っている。 |
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広場の東側の入り口近くにある「エル・テンプレテ」。1828年に建てられたギリシャ・スタイルの寺院で「聖なるセイバの木」が茂っている。 |
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アルマス広場の中心にある「カルロス・マニュエル・セスペデスの像」。彼は1868年に勃発したスペインとの独立戦争の立役者である。 |
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彼は「奴隷解放」を掲げ独立戦争のリーダーとし活躍した。この像は1925年に建てられた。 |
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アルマス広場の周辺で開かれる「古本市」。カストロとゲバラの本があった。 |
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ハバナ旧市街のピンク色のホテル「アンボス・ムンドス」。ここはヘミングウェイの常宿でここの部屋で「誰がために鐘は鳴る」を執筆した。 |
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ホテル「アンボス・ムンドス」の屋上から見た運河方向の眺め。 |
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ハバナの中心にある「ハバナ大聖堂」。1776年に完成し大きさの異なる二つの塔が特徴である。 |
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大聖堂の「礼拝室」。19世紀前半までここは偉人の埋葬所であった。コロンブスの遺体の一部が残っていると言われる。 |
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大聖堂を出ると「観光馬車」が走っていた。ここでは馬車はタクシーと同様の交通機関である。 |
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旧国会議事堂は1929年にワシントンにある米国合衆国国会議事堂に似せて造られ1950年代まではハバナで一番高い建物であった。1959年のキューバ革命後はキューバ政庁があり現在はキューバ国立科学研究所として使われている。 |
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4階建てで「大理石」をふんだんに使った豪華な建物である。 |
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観光客が大勢議事堂を眺めていた。人と車が多く「騒然」とした雰囲気であった。 |
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ここの大きな路線バスは「不安を感じない程度」に新しかった。 |
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議事堂前の通りに「親子三人乗りのバイク」が走っていた。 |
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「輪タク」が走っていた。交通量が多く向かい側の歩道まで「怖くて」道路を渡れなかった。 |
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