トリニダ Slide show
 シエンフェゴスから南に100km離れた所にある町で、コロンブス船団の一員であったディエゴ・ベラスケス・デ・クエリャルが1514年に建設した。彼は1511年から1524年までキューバ総督を務めた。かっては砂糖取引で栄えが現在はタバコの加工業が主要産業である。市内観光 歴史博物館
 
 市内観光 手付かずの寂れた田舎町であった。
「町の入り口」はシエンフェゴスとは比べ物にならないほど寂れている。
 町中に入ると「人通り」があった。
 
 産科院の窓から「妊婦さん」が外の通りを眺めていた。建物の窓は檻のような鉄格子でガードされている。

 町角に「輪タク」と暇そうな人がいた。キューバでは医者も路上清掃員も平均月収は20ドル〜100ドルである。
「小学生の相談所?」の職員が話し込んでいた。身なりから輪タクの運チャンと同じような所得とは思えない。
 
 観光客か住民かは不明だが「メタボ」な人が大勢立ち話をしていた。キューバの食料自給率は80%で野菜は1kg数円で買える。

「住民」らしき人がいた。働いている風には見えないが住宅や仕事は国から割り当てられるため失業者やホームレスはいない。
「サンティシマ広場」をセレブ風の観光客が歩いていた。欧州セレブの平均月収は1万ドル以上だろうからキューバと100倍の差がある。

 広場の前に建つ「サンティシマ教会」。遠くに「革命博物館の鐘楼」が見えた。
 
 教会の祭壇で「ミサ」が行われていた。キューバは信仰の自由があり人口の40%はローマ・カトリック信者である。

「革命博物館の鐘楼」。付属聖堂は20世紀前半に破壊され現在は鐘楼のみが残っている。
 
 鐘楼の近くを「乳母車」を押した住民が歩いていた。
 
 子供は「スリム」な体形をしている。
「鐘楼の通り」を幼児と母親が歩いていた。

 通りを進むと「ハイスクール」があった。
 
 学生は「スペイン系」の顔立ちをしていた。まだ放課後ではなさそうである。
「ミス・トリニダ?」がいた。この眼差しで話しかけられたら目を回してしまう。

 下校中の白人と黒人の「可愛い女学生」に声をかけ撮らせてもらった。
 
「健康的な笑顔」がキューバ人の国民性を表している。
 キューバは多種多様の人種が混在し「人種差別のない国」と言われている。
 
 住民はこのような「配給所」で食品を格安で受け取れる。店内は日本のコンビニより狭く品数も少ないが店員は「メタボ」だから主食は別の店にあるのであろう。

「意味不明な絵画」が売られていた。
 住民は日々このように「ノンビリ」と暮らしているようである。
 地元民を乗せた「馬車」が走っていた。農閑期で仕事が少ないのかも知れない。

「麦わら帽子」の土産品。通貨は住民用の「人民ペソ」と観光客用の「だ換ペソ」があり住民は観光客より1/24の低価格で商品が購入できる。

「輪タク」が走っていた。相変わらずお客は乗っていない。
 
 折角「ポーズ」を付けてもらったがピンボケで残念!。デジカメのピンボケには常に泣かされる。
 
 オールインクルーシブのホテル「トリニダ・デルマール」に到着。
「オールインクルーシブ」とはチェックインすると全て飲み放題、食べ放題、観放題になる。内容はそれなりのイマイチであった。
 チェックインすると民族舞踊で「歓迎」された。疲れ果てたので夕食後のアトラクションは観ないで即寝入ってしまった。
 
 歴史博物館は砂糖王イスナガの婦人が所有した邸宅で当時の農園主たちのぜいたくな暮らしぶりが伺える。そこに自由と独立を求めて革命に参加した地元軍の記念品などが展示してある。
「歴史博物館」はサンティシマ教会から西に100mほど離れた所にある。入り口に観光客が大勢いた。

 中に入ると「展望台」が立っていた。
 中庭にある「小便小僧と蛙」の像。
 中庭の「花壇」。
 中庭に面した当時のままの「廊下」。

「対の花瓶」。
 
 室内に置かれた「揺り椅子」。
 涼しそうな「ベッド」。
 
「大砲と砲弾」。骨董品なので革命とは無関係であろう。

「革命戦士の写真」。カストロとゲバラも写っているらしい。

 革命戦士が使った?「タイプライター」。
 
「奴隷売買の絵」。鬼畜が人間を家畜のように売買している。
 
「当時の台所」。
 展望台への「階段」
 
 途中から急な「らせん階段」になっている。

 踊り場に土産店があり「ゲバラのTシャツ」を売っていた。

「展望台」からはトリニダの町並み全体が見渡せる。
 
「革命博物館の鐘楼」が見えた
 
 民家で「パーティ」をしていた。
 瓦屋根の先に「サンティシマ広場」と「サンティシマ教会」が見えた。
 町外れの向こうに「カリブ海」が見えた。
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