ハ バ ナ Slide show
 キューバの人口は1100万人、面積は日本の本州の半分ほどである。ハバナはキューバの首都で人口は200万人、ハワイと同じ緯度にあり一年を通して温暖である。主な産業は観光、医療サービス、農業(砂糖、煙草、柑橘類)となっている。キューバ国民はスペイン系の白人、黒人系、混血、東洋系等多様な人種が混在するが原住民は絶滅したのでそれとの混血はいない。1492年コロンブスがキューバに上陸し原住民から富を略奪した上に奴隷として酷使しキューバ人を皆殺しにした。その代替労働力としてアフリカの黒人奴隷を投入しスペインの植民地としてじゅうりんを続けた。同じような状況にあったハワイや台湾、沖縄に皆殺しの歴史はない。カトリック教国のスペイン人が中南米で行った略奪と殺りくの蛮行は人間の所業とは思えない。チャップリンが1人殺せば犯罪者だが100万人殺せば英雄だとしたのはナチスドイツとスペインを示すのであろう。キューバは16〜19世紀末まで400年近くスペインの植民地であったが1902年キューバの小説家「ホセ・マルティ」による独立戦争で「キューバ共和国」が成立した。だがその混乱に乗じたアメリカがキューバを保護国として実質支配した。1952年に元軍人の「バティスタ」がクーデターで政権を奪取しするとアメリカ資本の支配がピークに達した。1959年キューバの弁護士「フィデル・カストロ」が「キューバ革命」でバティスタ独裁政権を倒し「社会主義国」になった。医療・教育費は国民全てが無償であり各地域にファミリードクターの診療所が設けられ住民の健康管理が行われている。キューバの1人あたりのGNPはアメリカの20分の1だが医療面ではアメリカよりも進んでいるとユニセフが評価している。教育は中学校までが義務教育で大学や専門学校も無償であり識字率は98%を誇っている。米国はキューバを経済封鎖し自国民のキューバ渡航を認めていない。コロンブスは原住民を民族浄化し歴史上の偉人になった。スペイン人が持ち込んだ病原菌が絶滅の原因との説もあるが…。市内観光 サルサダンス
 
 市内観光 メキシコのような喧騒感は皆無でガラパゴス的な穏やかさが漂う街であった。
 6時半にホテルを出発して「メキシコ空港」に向かう。空港に近づくと渋滞が始まっていた。
 空港にいた「可愛い女の子」。生れながらにして気品に満ちている。メキシコに白人と中国人の観光客は少ない。

 空港内の「飲食店」。ハンバーガーショップのテーブルでメキシコ人が朝食をたべていた。
 
 メキシコ人らしい「元気な女性」が出発ゲートに向かっていた。この手前にあるセキリティチェックで撮影したら警備員に捕まって撮影した写真を数枚削除させられた。

 メキシコ最大の航空会社アエロメヒコ航空の「スチュワーデス」。日本を往復する便には日本人の客室乗務員が1名乗っている。
 
 ハバナ行きの「ボーイング」が離陸の準備をしていた。
 
「メキシコ上空」からの眺め。到着した時と飛行コースが違うためか住宅が少なかった。

 ハバナに近づくと海岸線に「さんご礁」が見えた。
 
「ハバナ上空」からの眺め。緑の畑が広がり住宅が疎らに建っていた。
 
 ハバナの「ホセ・マルティ国際空港」に到着。キューバの国営航空会社クバーナ航空の旅客機が止まっていた。
「入国審査」を受ける。メキシコより審査は簡単であったが、周囲に怖い目つきの係員がウロウロしていたのでスリル満点でシャッターを押した。

 スーツケースの受け取り場にも「係員」がウロウロしていたが、ここは普通のオジサンであった。
 
「空港ロビー」はローカルな雰囲気である。
 空港内に「黒人女性」が大勢いてメキシコの雰囲気とは全く異なっている。

 空港の外は「穏やかな南国」で喧騒感がなくノンビリしていた。
 
 レストランの前に「ピカピカの旧型車」が止まっていた。
「サイドカー」も止まっていた。
 ガラパゴスを連想する「アンティークな車」が止まっていた。これはアメリカの保護国時代に使われていたものである。

「落ち着いた雰囲気」のレストラン店内。
 キューバ定食の「黒豆ご飯と豚肉」。お味はお好み次第であった。
 同じく「チーズとグアヴァソース」。これもお好みによる味である。

「全天候型のスタジアム」。キューバが「スポーツに強い」のはスポーツ施設が多く黒人との混血が多いからであろう。社会主義国は総じてスポーツ振興が盛んである。
 キューバのガソリン価格はJAFによれば1リットル5円である。だがキューバの通貨ペソは二重構造で国民と外国人では20倍の差がある。現地ガイドは1リットル200円だと話していた。

 キューバの国民的英雄「ホセ・マルティ」を称える記念碑。カストロが他界すればこれ以上に大きい記念碑が建つであろう。
 
 レストランに止まっていたのと同じ「アメ車のタクシー」が走っていた。燃費が悪いから儲かるとは思えないが、社会主義に「儲け」と言う言葉は無いのであろう。

 通りに黒人の「親子」が立っていた。メキシコ人よりセンスがよく豊な感じがする。
 
 ホテルの入り口に「三輪タクシー」が止まっていた。これなら燃費がよく省エネで儲かるであろう。
 
 宿泊した「ホテル・ナショナル」。空港から30分にある5星のアンティークなホテルである。椰子の木の下にピンクのレトロ車が止まっていた。

「プール」もあったが誰も泳いでいなかった。
 
 ロビーは「クラシカル」で格調高い。だが入り口に修理用の足場が組んであり老朽化している。
 
 葉巻を吸う「マフィア風」のオジサン。キューバの葉巻は世界一高品質とされている。
 カリブ海に向かうテラスで「ヨーロッパ人」がエンジョイしていた。米国の法律でアメリカ人はキューバに入国出来ない。
 夕食は近所のレストランでチキン料理をたべた。キューバ特産のラム酒「ハバナクラブ」の看板が貼ってあった。
 
 サルサダンス 1939年にオープンしたナイトキャバレー「トロピカーナ」は2000人を収容できる大劇場である。21時過ぎから開演し3時間休みなしでダンスショーが行われる。ダンスはジャズだけでなくキューバ音楽のサルサ、ソン、ロマンティカ、などラテン音楽を含んだ多彩な曲に乗って息も尽かさず踊りまくる。野外ステージなので雨が降ると中断されるが雨が止むとそのつど素早くモップで舞台を拭き演奏と踊りが続けられた。
 ダンスの前に「クラッシク曲」が奏でられた。
 眩い光と共に激しいリズムに乗って「ショー」が始まる。
 
 ダンスに混じって「サーカスの曲芸」も披露された。

 フラッシュ撮影もOKで「サービス満点」である。
 右側の観客は途中で「雨が降った」ので白い布を被っている。

「ダンス!」。
 
「ダンス!」。
「キューバ原住民」の姿を真似て踊っている。
 
「絶滅のポーズ」を連想するのは考え過ぎだろうか…。

「ダンス!」。

「ダンス!」。
 
「ダンス!」。
 
「熱唱!」。
 美人ダンサーが「観客と一緒に」ダンスを踊りまくる。このオジサンは「人生最高の思い出」になったであろう。
 ダンスショーの「フィナーレ」。社会主義国を感じさせない熱気に満ちた見事な演技と徹底したサービスに感心した。
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