フィラデルフィア Slide show
 1682年、イギリス人のウィリアム・ペンがこの地に渡来し「フィラデルフィア(兄弟愛の街)」と名づけた。1776年7月4日にイギリス植民地からの解放を要求して「独立戦争」が起こり、戦争中に州議会議事堂(独立記念館)で「独立宣言」が行われた。戦後の1787年に当地の議事堂で「アメリカ合衆国憲法」が制定され、これら建国の歴史からフィラデルフィアはアメリカ人の精神の拠り所となっている。
 デラウェア川に架かる「ベンジャミンフランクリン橋」を渡って市内に入る。この橋は1926年につくられ市の象徴になっている。
 川沿いにある「ウオーターフロント」の柵に「ペンズランデング」の看板が架かっていた。ここは年間を通じて様々なイベントが開かれている。 

 ペンズランデングに上陸した「ウィリアム・ペン」の功績を書いた「看板」あった。
 柵の中は「公園」になっていて、対岸には第二次大戦に使われた戦艦ニュージャージーが停泊していた。
 1702〜1704年につくられた「エルフレスの小径」は、1713〜1836年に建設されたアメリカ最古の住宅街の中を通っている。

 この家は窓際で何時も「猫が昼寝」しているので知られている。猫の姿は日本と同じであった。
 住宅は約30軒あり「イギリスの国旗」が掲揚され当時の面影が残っている。ここは現在も住人が生活しているが取り壊しの計画が出ているそうだ。
 1777年にアメリカで最初の「星条旗」をデザインし、縫ったとされる「ベッツィ・ロスが住んでいた家」。ここは1937年に復元され、家の中には彼女が愛用した裁縫道具やキッチン用品が展示されている。

 当時の衣服を着たガイドらしき人と「記念撮影」した。
「ご当地の観光客」らしき人も記念撮影していた。
 昼食に立ち寄った「巨大な食堂」の店内。
「大きなピザ」を売っていた。フィラデルフィアの名物はフィリーチーズケーキである。

「お寿司のパック」も売っていた。
「インディペンディエンス国立歴史公園」にある「合衆国初代の銀行」。

「合衆国2代目の銀行」。
「カーペンターズホール」はかつての市長たちが市政について論議した建物。
「リバティホール(図書館)」はアメリカ合衆国憲法の署名者、ウイリアム・リビングストンが居住していた。

 公園内を警備する「保安官」。アメリカの保安官は警察官と同じ権限を持ち選挙で任命される。
 
 公園内の正面から見た「独立記念館」には補修中の足場が組まれていた。
 道路側から見た「独立記念館」。記念館は1749年にペンシルバニア州の議事堂として建てられた。

 独立記念館の前にある「ジョージ・ワシントンの銅像」。
「リバティベル(自由の鐘)」は「独立宣言」をした時に鳴らした鐘である。ひびが入った鐘の後ろに見えるのは「独立記念館の塔」。

 市内は路面電車に似た「バス」が走っていた。
 市内を歩く「女性」はメタボな人が多い。
 インディペンディエンス「ビジターセンター」の入り口。
 センター内で「牧師さんらしき人(左)」がサイン会を開いていた。孫の名前を書きその上にサインしてもらった。

 フィラデルフィア美術館の前にある「ロッキーの像」。互いの健闘?を称えて「万歳三唱」をする。
 美術館の階段から「ダウンタウンをバックに記念撮影」をした。

 大通りの先に「市庁舎の塔」が見える。
 美術館前の広場にある「オブジェ」。
 オブジェから見た「フィラデルフィア美術館」の正面。ルノアール展の垂れ幕が掛かっていた。
 ここはシルベスター・スタローン主演の映画「ロッキー」の舞台なった場所で「足跡とサイン」が残されていた。この映画はスタローン本人が脚本しアカデミー賞最優秀作品賞を受賞している。

 おじさんとその家族がロッキーの「有名なシーンの真似」をしていた。トレーニング姿のロッキーはこの階段を駆け上がって…。
 美術館の前で「振り返り拳を上げる」のである。如何にもアメリカ人が好みそうなシーンである。

 美術館の広場で「結婚式」が行われていた。上品で綺麗なお嫁さんが幸せそうに笑っていた。
 ペンシルバニア大学の近くにあったレトロな「赤レンガの建物」。
 1740年に設立された「ペンシルバニア大学」のカレッジホール。
 カレッジホールの前にある創設者「ベンジャミン・フランクリンの像」。
 図書館の前にあるクラース・オルデンブルク作の「Split Buttonn(割れたボタン」のオブジェ。意味は不明である。

 校内にフィラデルフィアのオブジェ「LOVE」が置かれていた。
 創設者の格言「失われた時は二度と戻らない」のプレートがあった。
 ベンジャミン・フランクリンの像と並んで「記念撮影」した。「残された時は短い」のでこれからワシントンに向かう。
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