ワシントン Slide show
 アメリカ合衆国の首都で正式名はワシントンDC(連邦特別地区)でありワシントン州と区別している。面積は東京都区の1/3、人口は都区の一割弱である。歴史のある欧州に比べアメリカの都市は、総じて趣(おもむき)や重厚感に乏しく、アメリカン・ドリームの熱気も感じられず、アメリカ型社会の行き着く先を垣間見たような旅行であった。贅沢を言わなければ日本の方が余程住み易い。市内観光 ワシントン・ナショナルギャラリー スミソミアン国立自然史博物館 スミソミアン航空宇宙博物館
 
 市内観光 アメリカを象徴するような高層ビルや道路の雑踏はなく、国際社会の頂点にある国の首都にしては活気に乏しく無味乾燥な街であった。
 市内へ入る途中にアメリカ国防総省の「ペンタゴン」が見えた。高いアンテナなどは無く目立たない造りである。
 ホテルで出された「前菜」は野菜がドッサリ盛られていた。食事の見栄えに拘(こだわ)らない合理的なお国柄が伺える。

 メィン・ディッシュの「ステーキ」は、見た目は良くないが味は悪くなく日本のに比べアッサリしていた。
「アーリントン国立墓地」にある「アーリントン・ハウス」。この墓地は南北戦争で戦没した北軍兵士のために創建された。
 1864年から約150年間で30万柱の「墓石」が並んでいる。国の興亡は兵士の屍で築かれ、因みに靖国神社は1869年から250万人が祀られている。

 1963年に暗殺された「ケネディ大統領の墓石」。何故かこの右側にジャクリーン婦人の墓石も置かれていた。
 1922年に建立した「リンカーン記念館」。
 記念館には1865年に暗殺された奴隷解放の父「エイブラハム・リンカーン大統領」の像が置かれている。

 リンカーン記念館から見た「ワシントン記念塔」。塔の向うに国会議事堂がある。
「ホワイトハウス」はアメリカ合衆国大統領が居住し執務を行う官邸である。鉄格子に囲まれ木々が茂って内部が見えないようになっていた。

 美人の添乗員さんと一緒に「記念撮影」した。今頃何処を飛び回っているのかな・・。
 派手な色をした「観光バス」が停まっていた。屋根なしで濡れながら観光するようだ。
 1855年に建てられた「スミソニアン協会本部(キャッスル)」の建物。スミソニアン協会は膨大な文化遺産や標本を所蔵し公開している。
 1793年に建てられた合衆国で四代目の「国会議事堂」。議員総数は535名で日本は722名である。
「ワシントン記念塔」は1776年の独立戦争で勝利した初代合衆国大統領ジョージ・ワシントンを讃えて建造された。高さは169mあり1888年に公開された。

 昼食に「巨大なハンバーガー」を食べた。見栄えは悪いがお買い得な食品である。
「ワシントン・ダレス空港」のチェックインカウンターの様子。ここから成田までエコノミークラスの15時間は気が重い。
「ワシントン空港」からシカゴ空港を経由して帰国する。今回で名立たる国々は殆んど周り切ったので、これで打ち止めかも…。
 
 ワシントン・ナショナルギャラリーは1937年に民間人の寄付で設立された国立美術館で、今日までも多くの篤志家に寄る美術品の寄贈が続けられている
「ナショナルギャラリー」の西館入り口。
 入り口を入ると円形ロビーがあり、ローマ神話の「マーキュリーの像」が置かれている。

「ルーアン大聖堂」クロード・モネ。
「ルーアン大聖堂」クロード・モネ。
「サーカス団の家族」パブロ・ピカソ。

「二人の若者」パブロ・ピカソ。
「パンドラ」オディロン・ルドン。
「聖者セバスチャン」オディロン・ルドン。

「老人と村人」エドゥアール・マネ。
「海辺で」ポール・ゴーギャン。
「赤道のジャングル」アンリ・ルソー。

「フープを持つ少女」ルノアール。
「天秤を持つ女」ヨハネス・フェルメール。

「手紙を書く女」ヨハネス・フェルメール。
「自画像」レンブラント。
 当館最大の代表絵画「ジネヴラ・デ・ベンチの肖像」レオナルド・ダ・ヴィンチ。
「Ginevra de'Benci」レオナルド・ダ・ヴィンチ。
「アルバの聖母子」。ラファエロ。
 
 スミソミアン国立自然史博物館は1910年に建てられ動植物の化石などが多数展示されている。標本の収蔵数は一億個を超え世界中の自然史学者の拠点ともなっている。
「博物館の入り口」。
 中に入ると「巨大な象の剥(はく)製」があった。

 大人は「宝石」に興味がある。
 ご夫婦揃って「真剣な表情」で見入っていた。

 少女も「ウットリ」と見つめていた。
「ダイヤモンド」のネックレスと冠。
「エメラルド」のネックレスと原石。
「ダイヤモンド」の指輪。
「サファイヤ」のブローチ。
 
 スミソミアン航空宇宙博物館は航空機と宇宙船関係を展示する博物館で、航空学・宇宙飛行の歴史、技術などを研究する施設である。
「博物館の入り口」。
 館内は「人工衛星」や「昔の飛行機」の実物や模型が置かれている。
 1972年12月にアポロ17号が持ち帰った「月の岩石」。三角形の黒い部分が月の岩石で実際に触ることができる。撫でるとガラスのような感触であった。

 金色の「人工衛星」が宙吊されていた。
「二階から見た様子」。左側が入り口で右側に出口があり、中央に「あぽろ11号指令船」が展示されている。
 二階には「ゼロ戦」の復元機が展示されていた。この戦闘機は1940年から約10,000機が生産された。攻撃には強いが防御力は貧弱とされている。

 1903年にライト兄弟が発明した「ライトフライヤー号」の実物。彼らは大発明したがマーケッティングが下手で経済的に恵まれず生涯独身であった。
 ナチス・ドイツの「V1飛行爆弾」の模型がぶら下がっていた。手前にある復元された白黒色の「V2ロケット」はナチス・ドイツが開発した世界初の弾道ミサイル。
「V2ロケット」は全長14mもあり1400発がロンドンに打ち込まれた。戦後、開発者のフォン・ブラウンはアメリカに渡りロケットの研究開発で活躍した。
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