青 蔵 鉄 道 Slide show
 青蔵鉄道は2006年7月1日に全通し建設費は約5,000億円とされている。西寧〜ラサ(拉薩)間の路線距離は約2,000kmで所要時間は約27時間である。最高度地点はタングラ峠の海抜5,072mで4,000m以上の区間が約1,000kmも続いている。先頭車両は米GE社製のディーゼル機関車で15両の客車を牽引する。車内のトイレは水洗だが、お世辞にも綺麗とは言えなかった。
「中国人観光客」らしい家族が駅に向かっていた。
「西寧駅」は立派な造りである。
 広い「駅の待合室」では大勢の人が立ったり座ったりして改札が始まるのを待っていた。

 チベット人?の「ご夫婦」が幼児を抱いて並んでいた。ラサまで行くのであろうか…。
 中国人?の「母親」が幼児を抱いて座っていた。貧しい身なりだが何処まで行くのであろうか…。後ろに欧米人が映っていた。

 改札口を抜けて駅のホームに入る。駅舎に西寧と書いた大きな看板が立っていた。
 午後4時半頃「乗車する」。車掌さんが切符をチェックしていた。
 発車すると「車掌さん」が車内点検に回って来た。
 車窓からの「西寧の街並み」。高層マンションが建ち並び今風の街並みであった。

「チベット族の住宅」が密集して建っていた。小さな地震でも直ぐ倒壊する様な造りである。
 この地方は高所故に「裸麦」しか育たない。西寧を出発して間もなくは「緑の畑」が広がっていたが、それ以後は砂漠の様な痩せた土地ばかりであった。

「食堂車の従業員」の人たち。手を上げたおばさんが「写真ダメ」と叫んでいた。
 食堂車の「夕食の献立」。簡単な料理だが味は悪くなかった。
 遠くに青海湖(ココノール)が見えた。高山病の予兆がして上段の寝台で早めに就寝した。

「朝食の献立」。高山病が始まって食欲が無く箸が付けられなかった。
 添乗員さんと現地ガイドのカイさんは美味しそうに朝食を食べていた。
 密封したポリエチレンの袋が風船の様に膨らんでいた。客室内は「旅客機並みの気圧調整完備」と訴われているが眉唾物である。

 高山病にめげないで隣室の「クーニャンさん」に並んで写真を撮らせてもらった。HPアドレスをお渡ししたが見てるかな…。
 同室のメンバーは超元気である。特に左側の「ご老人は83才」で中央の現地ガイドさんと討論していたからご立派である。
 車窓から時たま「集落」が見えた。
 遠くにリヤカーを引き「五体投地」しながらラサを目指す巡礼者の姿を見た。車窓から見たのは此処だけなので貴重なシーンである。上の白いラインは車道である。

 列車が「大きくカーブ」して先頭車両のジーゼル機関車が見えた。
「白いテント」が張ってあった。チベットでは白いテントは未婚女性専用なのだそうだ。あたりに家畜がいないから野宿しているのであろう。

 海抜5,072mのタングラ峠付近に連なる標高5,500mの「タングラ山脈」。
 海抜4,594mの高所にある「ツォナ湖」。
 海抜4,000m以上の痩せた土地に放牧された「ヤク」の群れ。
 食堂車で「青蔵鉄道最後の昼食」をたべる。皆さん食欲旺盛で羨ましい。手前の男性は高山病に危険とされるビールを飲んでもヘッチャラで強じんな御仁であった。

「ナクチュ駅」に到着。乗車してから初めての5分間下車をする。
「可愛い車掌さん」を撮ったが、写真撮影は望まない様であった。笑顔なら最高だが残念…。

 大勢の乗客が下車して記念写真を撮りに走り回っていた。
 遠くに小さな集落が見えた。此処の住人はこの青い空の下で一生を過ごすのだろうか。冬はさぞや寒いであろうに気の遠くなるような光景である。

 列車は「ダムション駅」を通過する。
 ラサに近づくと「菜の花畑」のある村が見えた。
 鉱山の工場が見えた。青蔵鉄道はチベットの「豊富な鉱物資源」を運搬するために曳かれたとも言われている。

 24時間かかって午後5時に「ラサ駅に到着」する。
「一等寝台の5号車」に乗ったのだが先頭車両は左端の遥か遠くにあった。
「先頭車両」まで行ったが、これ以上近づくのは「禁止」であった。
 駅のホームでは「軍服姿の駅員?」がタスキをかけて立っていた。煉瓦色の建物が出口である。欧米人観光客の姿は全く無かった。

 駅の外に出ると「出口の建物」は簡素な造りであった。駅舎はこの隣にある。
 大勢の乗客は「駅の広場」に出てそれぞれの目的地に散っていった。明日からラサの観光が始まるのだが気分が悪く不安だった。
 駅の周辺を迷彩服を着た人民解放軍兵士が「パトロール」していた。武力騒動は未だ収束していない様子である。
 ポタラ宮殿に似せて造られた「ラサ駅の駅舎」を兵士が歩哨していた。
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