チェスキークルムロフ Slide show
 プラハから南に180km離れたオーストリアに近い人口15000人の町である。13世紀に築かれたロジュンベルク家の城を中心とした町で、14世紀から500年にわたって戦乱もなく穏やかに発展したので中世の美しい町並みがそのまま残された。第二次大戦後は共産党政権になり伝統文化が否定されたことから辺境の町とされ荒廃した。民主政権の1989年以降に大規模な修復が行われ観光都市として注目が集まっている。町全体にゴシック、ルネサンス、バロック様式の建築物が保存され貴重な歴史記念物として1992年に世界遺産に登録された。
 プラハから3時間かけてチェスキークルムロフに到着する。「ブルタバ川」の川向こうにゴシック様式の「聖ビート教会」の尖塔が見えた。

 橋を渡って町に入り、高台の公園からライトアップされた「クルムロフ城の夜景」を眺める。
 夕食を摂りに理髪橋渡ってクルムロフ城内にあるレストランに向かう。灯台の様な「城の塔」が建っていた。
 クルムロフ城の「第三の中庭」。城内には壁で区切られた五つの「中庭」がある。
「第四の中庭」の壁に描かれた「だまし絵(スグラフィータ)」。壁全体が凹凸している様に見えた。ドアと窓は本物である。
 城の建物間に架かる「プラーシュチョビー橋」から見た「町の夜景」。左上に「聖ビート教会」がボンヤリと見えた。昼間ならさぞや良い眺めであろう。

 城の橋を渡って城内劇場にあるレストランで「現地ガイドさん」と記念写真を撮った。
 町の中心にある「スヴォルノステイ広場」と1715年にペスト流行終了を記念して建てられた「聖母マリア柱」。昨夜はルネサンス調?のピンクのホテル(右)に宿泊した。

 旧イエズス会神学校郷土博物館の側にある昨夜と同じ「公園」から見た「クルムロフ城」。
 公園に道案内の「写真の看板」が立っていた。印が現在地で上端にある水道橋に似た白い「プラーシュチョビー橋」が町の入り口である。

「朝のクルムロフ城」と白い塔の「旧聖ヨシュト教会」を眺める。
 城の東側には「旧フランシスコ修道院」の塔が見えた。
 町中の「朝の街路」。早朝で人影はなく静寂の中に馬車の蹄の音が聞こえて来る様であった。
「ブルタバ川」の沿岸に建つ「クルムロフ城」。町の歴史的景観はプラハを凌(しの)ぐものがある。
 町の入り口「プラーシュチョビー橋」を眺めながらウィーンに向う。
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