プ ラ ハ Slide show
 チェコ共和国の首都で面積は東京23区の80%、人口は15%である。市内の中心部にモルダウ川が流れ古い町並みが数多く現存している。プラハ城創建の西暦870年がプラハの始まりとされ、当時は大いに栄えたが973年以降は戦禍に巻き込まれ荒廃した。1346年に神聖ローマ帝国の首都になり「黄金のプラハ」と称されヨーロッパ最大の都市になった。1648年に王宮がウィーンへ移転されチェコ文化は空白化し「暗黒の時代」が2世紀以上続いた。第一次大戦後の1918年にチェコスロヴァキア共和国が成立しプラハが首都となった。第二次大戦中の1938年にナチス・ドイツによってチェコスロヴァキアは占領されたがプラハが大規模な戦火に曝(さら)されることはなかった。大戦後は社会主義国チェコスロヴァキアの首都となった。1968年には「プラハの春」と呼ばれる改革運動が起こるがソ連の介入で失敗した。1989年の「ビロード革命」で共産党政権は崩壊し1993年にチェコとスロヴァキアが分離しプラハがチェコの首都となった。
 市内の中心部を流れる「モルダウ川」に架かる「カレル橋」。橋は1400年に完成し欧州で現存する最古の石橋であり長さ516m幅10mある。

「聖ヴィート大聖堂」を囲む様に建てられた「プラハ城」は長さ570m幅130mあり世界で最も古くて大きい城である。
 城の見物を終えた「親子」がカレル橋を歩ていた。後方にプラハ城と聖ヤン・ネポムツキーの像が見える、
 橋の欄干に立つ「聖ヤン・ネポムツキーの像」に触ると幸運が訪れると言われている。彼は王妃の秘密を王(ヴァーツラフ4世)に告げなかったのでこの橋から川に投げ込まれ処刑された。

 カレル橋から見た「聖ヴィート大聖堂」と尖塔の「メインタワー」。プラハ城は要塞ではなく教会を囲む様に建てられた宮殿である。
 橋の「小地区側の橋塔」。ここを通って城に向かう。
「プラハ城正門の衛兵」と「戦う巨人たち(18世紀イグナーツ・プラツェル作)」の銅像。奥に見える建物は大統領府で中央のアーチが「マティアス門」。

 マティアス門を通ると「聖ヴィート大聖堂」が見える。西側が「ファサード(建物の正面)」で二つの塔の間に円形の「バラ窓」がある。
 バラ窓の下に「入り口」がある。
 大聖堂の南側にある尖塔「メインタワー(97m)」と、旧入り口の「ゴールデンゲート」。城内で一番高い塔だが近くからだと余り見栄えがしない。

「大聖堂の東側」にクリスマスツリーが飾ってあった。
 大聖堂の「礼拝堂」。上方のバラ窓が万華鏡の様に輝いていた。
 礼拝堂の「ステンドグラス」。
 祭壇の壁に描かれた「イコン(聖人画)」。チェコの宗派はカトリックである。

 10世紀に建設されたプラハ城内最古の教会「聖イジー教会」。
 城内を「衛兵」が巡回していた。
 城の丘から見た「街の眺め」。遠方が旧市街地。

 丘の下にある城下町「小地区側の建物」。
 カレル橋を戻って「旧市街地」へ向った。
 衣料品の「スーベニア ショップ(土産店)」があった。
「ガラス工芸の土産店」。世界的に有名なボヘミアガラスはチェコの伝統工芸品である。

「旧市街広場の入り口」。左側が「旧市庁舎」で奥に見えるのはゴシック様式の「ティーン教会」。

 旧市庁舎にある「天文時計塔」。午前9時から午後9時の毎正時に仕掛けが動きだす。
 時計塔の仕掛けを見ようと大勢の観光客が「上を向いて」待っている。
 11時になると二つの小窓が開いて「12使徒の人形」が出て来た。仕掛けの順序は初めに小窓が開き、骸骨(死神)が鳴らす鐘の音と共にキリストの12使徒の人形が現れ最後に小窓の上の鶏が鳴いて終了する。

 広場の奥にあるバロック様式の「聖ミクラーシュ教会」。クリスマスマーケットの赤い屋台が並んでいた。
 15世紀のチェコにおける宗教改革者「ヤン・フスの像」。ローマ教会の堕落を批判したため1415年に異端者として火あぶりの刑に処せられた。広場の中央にあり旧市街広場のシンボルとなっている。
 旧市街広場を取り巻く「建物」の様子。
 カレル橋旧市街地側の「門塔(黒色)」を眺めながらプラハを後にした。
 チェスキークロムロフに向かう高速道路で見た「交通事故」。チェコの交通事故死亡率は日本の1.5倍である。
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