ベ ル リ ン Slide show
 市内観光 旧東ドイツ地域のためか予想外に寂れた感じのする街であった。華やかさが全く無くゲシュタポやKGBが暗躍する重苦しい雰囲気がしてとても暮らして見たい気分にはなれなかった。
 クリスマスに「成田」を出発する。大きな「クリスマスツリー」が飾ってあったが空港内は閑散としていた。

 フィンランドの「ヘルシンキ空港」に到着する。空港には雪が積もっていた。
「パイロットとスチュワーデス」がターンテーブルの前で荷物が出てくるのを待っていた。
「ヘルシンキの商店街」。午後5時頃だが辺りは真っ暗であった。

 ホテルに向かう「道路」にも雪が沢山積もっていた。
 翌朝ヘルシンキ空港からベルリンに向かう。空港の「レストラン」に欧米人が大勢いた。
 ヘルシンキ空港の「誘導路」には昨日より雪が沢山積もっていた。

 飛行機の翼に「凍結防止剤」を吹きかけて滑走路に向かい離陸する。
「ベルリンの上空」から見た街並み。高層ビルなどは全く建っていない。
「ベルリン空港」に到着する。幸い雪は積もって無かった。
 空港内で「美人女性」をスナップしたが残念ながらピンボケ。今回C社製のカメラを使用したが、前回のN社カメラと同様…なカメラであった。
「ベルリン・テーゲル国際空港」からツアーバスで1500Kmに及ぶ中欧観光に出発する。C社製カメラもN社と同様に明るい場所ではピンボケしない。

 クリスマス休日中のためか街は静かを通り越して「寂れた感じ」がする。

 街中を「路面電車(シュトラーセ・バーン)」が走っていた。
 旧東ベルリン地区にある高さ368mのテレビ塔が見えた。
 ベルリン博物館島にある「ボーデ博物館」。プロセイン王が1830年シュプレー川の中州に建設させた。遠くにテレビ塔が見える。

 ドイツ連邦議会の置かれている「国会議事堂」。
 国会議事堂前の「横断歩道」。中央奥にブランデンブルグ門が見える。
 国会議事堂の正面入り口には屋上ドームを目指して「大勢の観光客」が並んでいた。
 コンクリートブロックを並べた「ホロコースト記念碑」。2005年5月10日に完成し連邦議会議長w・ティールゼがこの記念碑は「ドイツ史最大の罪の告白にあたる」と述べた。

「ベルリン州議会議事堂」の屋上に「ベルリン市旗」が揚がっていた。旗には熊の姿が描かれている。この側にベルリンの壁が並んでいる。
 東ドイツ製の小型乗用車「トラバント」。ボディはボール紙で出来ているそうだ。
 東ベルリン側から見た「チェックポイント・チャーリー(国境検問所)」の米兵写真。1945年から1990年まで存在し、ベルリンの壁と並ぶ東西分断の象徴であった。

 西ベルリン側から見ると米兵写真の裏側に「ソ連兵の写真」が貼ってある。白い小屋には米軍検問所と書いてある。
 西ベルリン側の露天土産店に、当時の物らしい帽子などが売られていた。「ガスマスク」は花粉症グッズに適している。

「子供」が父親と連れ立って歩いていた。東西ドイツ統一後に生まれ幸せである。
 道路の向うに赤レンガ造りの「赤の市庁舎」が見えた。
「ベルリン大聖堂」は1905年に建て替えられたが、第二次大戦で破壊され1993年に修復した。
 遠くに国会議事堂とその屋上にある「ガラス張りのドーム」が見えた。
「カイザー・ヴェルヘム教会」は爆撃で破壊されたままの姿だがライトアップされると妙に美しい。
 
 ブランデンブルク門とベルリンの壁 ブランデンブルグ門は1791年にドイツ・ベルリンのシンボルとして建てられたが、冷戦時代(1961〜1989)にはベルリンの壁が西ベルリン側に立てられ門の通行はできなかった。
 東ベルリン側から見た「ブランデンブルグ門」。共稼ぎの多い国なので父親が子育てしている。日本も見習うべきである。

 東側の門前にある広場は「パリ広場」と呼ばれる。ソ連国旗を掲げた若者が何かをアピールしていた。
 西ベルリン側の「通り」。赤い服を着た人がまたいでいる線上にベルリンの壁が建っていた。
 西側から見た「ブランデンブルグ門」。黒い服を着ている人の辺りに壁があった。
 西側の公園にある「ベルリンの壁犠牲者の墓標」。
 ドイツ総領事館HPのベルリンの壁についての基礎知識|によれば「犠牲者数は136人」とされている。

「ベルリンの壁」はニーダーキルヒェン通り(旧チェックポイント・チャーリーから西へ行った所)に残されている。

 西側の壁には「SAVE OUR PLANET」私たちの惑星を救って下さいと書かれている。
 東側(反対側)の「壁面」は削り取られ銃弾の痕があった。
 
 ペルガモン博物館にはトルコのベルガマで建造されたヘレニズム期の代表的な彫刻「ゼウスの大祭壇」が館内に再構築されている。この遺跡は1864年にカール・フーマンらが発見しドイツに持ち帰った。
「ペルモンガ博物館」の外壁は改修中であった。
 中に入ると「ゼウスの大祭壇」がある。祭壇の階段に観光客が大勢座っていた。
「ミレトスの市場門」はローマの建築物で1100年前に地震によって破壊されていたが、1903年にドイツ人が発掘しベルリンに持ち帰った。

 門の脇にある「石造」。
 バビロニアの「イシュタル門」(前6世紀)は彩釉煉瓦(さいゆうれんが)を積んで造られている。
「門の周囲」もレンガで鮮麗に装飾されている。彩釉煉瓦はレンガに釉薬(ゆうやく)を施したもので、中国の明や清でも多用された。
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