下 関 Slide show
 本州と九州を隔てる関門海峡の北岸にあり、山口県を代表する都市である。以前は捕鯨の町であったが、現在は日本一のフグ水揚市場となっている。平安時代の末期(1185年)壇ノ浦の源平合戦で平家が滅亡した地であり、慶長17年(1612年)宮本武蔵と佐々木小次郎が巌流島で決闘した場所で知られている。09.11.14
 市営の「火の山ロープウエイ」で山頂の展望台に向かう。火の山(268m)の名前は昔使われた狼煙台(のろしだい)に由来するもので火山ではない。近年完成した海峡ゆめタワーの影響か乗客は少なかった。

「関門海峡」に架かる「関門橋」。対岸が九州で橋の下に海底トンネルの国道と歩道が通っている。源平合戦で敗れた平家はこの海峡に没した。
 下関市彦島の入り江に細長く浮かぶ小島が武蔵と小次郎決闘の場「巌流島」。巌流島から見る関門海峡の眺めは雄大で素晴らしい。唐戸桟橋より直行便が出ている。今回は日程不足でパスした。
「みもすそ川の欄干(らんかん)」から見た「火の山々頂」。平清盛の正室、二位の尼は安徳天皇を抱いて壇ノ浦のみもすそ川に身を投げ自害した。

「壇ノ浦の船溜り」から見た「関門橋」と九州側にある「めかり山」。
 赤間神宮正門の「水天門」。この神社は壇ノ浦の戦いで幼くして亡くなった安徳天皇を(まつ)ってある。
 境内で「結婚式」が行われていた。
 赤間神宮の「拝殿」。
 境内の奥にある「平家一門の墓」。この墓前で盲目の琵琶法師、芳一が平家物語壇ノ浦の段を弾き語ったとされる。

 墓の側にある「芳一堂」には怪談「耳なし芳一」の主人公が祭られている。
 赤間神宮の隣にある「春帆楼(しゅんぱんろう)」と「日清講和記念館」。明治28年に春帆楼で日清講和条約が締結され、記念館にはその資料などが展示されている。隣国の観光客が大勢見学に訪れていた。

 春帆楼から500m程離れた所にある「引接寺(いんじょうじ)」。1560年に創建された浄土宗の寺院で、下関条約の清側全権として来日した李鴻章(りこうしょう)が日本滞在中に宿泊した寺である。
 引接寺三門の鏡天井には「左甚五郎作の龍」が見下ろしている。
 引接寺の裏山に建っている「藤原義江記念館」。日本を代表するテノール歌手の記念品が展示され、関門海峡の眺めも素晴らしい。予約すれば一般見学ができる。
 市外の川棚温泉で行われた「同窓会」に初参加した。白髪頭が永き半世紀を物語っている。
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