サンクト・ペテルブルグ(1) Slide show
 ロシア有数の港湾都市で、モスクワに次ぐロシア第2の都市である。面積は東京都区の約2倍、人口は半分位で街の中心部に運河が巡り「北のヴェネツィア」とも称されているが、海洋性気候の影響で年間を通じ晴天日は平均62日しかない。この都市は1713年ロシア帝国の首都となり約200年間政治・経済・文化の中心となってきた。ソ連時代に首都はモスクワに移り、ここは「レニングラード」と改名されたが、ソ連崩壊後にサンクト・ペテルブルクの名前に戻った。当地はバルト海に面したネヴァ川河口の湿地帯を、ピョートル大帝が大量の農奴を酷使し建設した都市で、その過酷さから「屍の上に築かれた都市」と呼ばれている。この様にロシア貴族が人民を農奴として消耗品扱いした為に共産主義革命が起こったのだろう。また革命指導者が「スターリン」でなければロシアもフィンランドの様な国になったのかも知れない。ロシアは想像したより遙(はる)かに落ち着いた国でバレーなどの芸術面は特に秀(ひい)でている。サンクト・ペテルブルクは北欧風の静かな街だが、降雨に見舞われ下着までビッショリになった。お陰でモスクワの方が好印象に残った。日本経済の成長は今後とも望み薄なので、ロシアの様に質素な別荘「ダーチャ」の生活を見習って暮らしたいものである。09.8.9
 サンクト・ペテルブルクの上空から見た「ダーチャ」はモスクワより密集して建っていた。
 空港近くに沢山の「アパート」が建っていた。
 市の中心から20Km程離れた「プルコヴォ空港」に到着。屋根に煙突の様な採光窓が立っていた。

 夕食のレストランで「流しの歌手と伴奏者」らしき人が歌で歓迎してくれた。だが酔っぱらって何を聞いたか覚えていない。
 四つ星ホテルに到着。夜中に寝ぼけて部屋を出て戻れなくなり、ステテコ姿でこのフロントでカードキーを再発行してもらった。

 朝外に出るとホテルの前に「ピョートル大帝」の像が立っていた。
 フルシチョフ時代に建てられたと見られるヤヤ…な共同住宅。だがマイカーが駐車しているので、お金持ちが住んでいるのかも知れない。

 バスに乗って市内観光に出発する。ネヴァ川に「豪華客船」が停泊し老人と子供が「魚釣り」をしていた。
 1887年創立の伝統ある「フォンタンカのサーカス」の劇場。
 運河沿いに並ぶ「重厚な建物」。
 対岸から見える「聖イサク寺院」の金色の円屋根。

 街中を運河巡りの「遊覧船」が走っていた。
 ネヴァ川に架かる「トロイツキー橋」と「聖イサク寺院」。
「宮殿橋」の袂(たもと)から見た「聖イサク寺院」。左の金色の尖塔は「海軍省の正門」高い柱のある黄色い建物は「同省の裏門」。
 宮殿橋を渡ったヴァシリエフスキー島の岬にある二本の「ロストラの燈台柱」。高さ32mあり1810年に建てられたが現在は使われていない。

 ロシア人らしい風貌の「お巡りさん」8月なのに防水の制服を着ていた。ショーウインドに何やら不気味な人形が覗(のぞ)いている。

 高さ72mの金ピカな「海軍省の正門」。現在はバルチック艦隊司令部など海軍の重要機関が置かれている。
「砲兵博物館」の塀の外に並んでいる「大砲」に子供が乗って遊んでいた。日本ではブーイングな光景である。
 昼食に立ち寄ったレトロな感じの「レストラン」。
 昼間なのにディナーショー並のステージで「歓待」してくれた。
 日露友好の「記念撮影」。お三方とも美人で可愛くて「ナカナカ・グー」。

 爺さんは[熊さんとツーショット」。ここのウオッカは上物で真っ昼間からヤヤ飲み過ぎてしまった。
 何の広告か分からないが「溢れた札束と怒り顔」を描いたバスが走っていた。日本なら札束には当然笑顔である。
 交通事故を「目撃」した。事故処理は日本と同じで警察と保険会社がするそうだ。真横から突っ込んだ割には双方平然としていた。

 日本人が経営する「レストラン将軍」で昼食を摂った。ソ連時代から現在までの経過を邦人に直接聞くことが出来て非常に有意義であった。ヘルシーな日本食はロシアでも流行っている。

 雨の降った「横断歩道を渡る人々」はみんな寒そうであった。ここは夏の平均気温が22℃なのでみんな長袖服を着ている。
 夏なのに寒そうに「信号待ちする人々」。ロシアに黒人がいないのはアフリカに植民地が無かった為とも言われるが、気温の関係もあるのでは…。
「町行く人々」は余り裕福な服装をしていない、チラシを配っている人もいた。
 大通りを外れると「お客の少ないカフェテラス」あった。今は夏休暇中なので市民はダーチャ暮らしをしているのであろう。

 露店で「果物」を販売していた。空箱が沢山あるから随分売れた様だ。ダーチャで作った果物かな…。
 大通りに出ると「モスクワ駅の時計塔」が見えた。サンクト・ペテルブルク鉄道はモスクワの「レニングラード駅」を出発し、サンクト・ペテルブルクの「モスクワ駅」が終点になる。
「スーパー」で買い物をする。賞味期限切れかそれに近い物が有ったから余り売れていないのであろう。お土産品は空港で買う方が安全である。自宅で賞味期限切れのお菓子を食べたが特に問題はなかった。

 昼食に寄ったレストランで「髭おじさんと…さん」のツーショット。ピースなロシアに万歳!!。
 髭のおじさんが「パカパカ(ロシア語の「さようなら」)」と見送ってくれた。
 自由市場の並びにあるマイナーな「ウラジミールスカヤ教会」。その外で露天商人がダーチャで栽培した野菜や花を売っていた。

 ロシアに「パカパカ」する日。市内から空港に通ずるモスコフスキー通りにある「凱旋門」。立派な門だが言われは不明。
 同じくモスコフスキー通りのモスコフスカヤ広場にある「レーニン像」。背後の建物は詳細不明。
 同じ通りにある「レニングラード防衛戦英雄モニュメント」。第二次大戦中ナチスからレニングラード(サンクト・ペテルブルク)を900日かけて守り抜いた英霊の碑である。

 ロシアで始めて見た「救急車」。ひっきり無しに救急車が走り回る日本は正に医療天国、関係者に感謝しなければ罰が当たる。
 クールでスタイリッシュな「プルコヴォ空港」に到着。
 モスクワのシュレメチェボ空港に向けて出発する。「乗客の後ろ姿」が名残惜しげに見える。
「シュレメチェボ空港」に展示してあるソ連製「イリューシンii-18」。その当時は花形の旅客機であった。

 ロシア人は「スモーカー」が多い。医療保険無しなのに不安はないのだろうか。
 モスクワの「空港ロビー」は、成田より遙(はる)かに国際的である。
「セキュリティチェック」と出国審査に長時間を要し搭乗に間に合わないのではと心配したが、何とか間に合って免税店でウオッカとチョコレートを買い無事帰途についた。
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