ウラジミール Slide show
「黄金の環の真珠」とよばれる美しい町で、12世紀にクリヤジマ川(ボルガ川支流)沿いの高台にウラジーミル・モノマフ大公が要塞を造ったのが町の始まりである。13世紀にチンギス・ハンが率いるモンゴル軍に破れ支配されてしまう。15世紀にモンゴルからロシアを奪還したモスクワ大公国が台頭し、16世紀以降ウラジーミルは衰退していった。現在はウラジーミル州の州都・工業と文化の中心地となっている。09.8.9
 市の中心部にある「黄金の門」(1164年)は扉が金メッキなのでこの名が付けられた。500年以上に渡って数々の将兵が、この門から出陣と凱旋を繰り返した。現在内部は中世軍事博物館として公開されている。

 黄金の門の近くにある「至聖三者大聖堂」。
 黄金の門から東へ1kmにある「ウスペンスキー大聖堂」(1158年)と「その鐘楼」。5つの円屋根が金色(こんじき)に輝いている。
 大聖堂の近くにある「聖ドミトリエフスキー寺院」(1194〜1197年)。中世にウラジーミルとモスクワの両大公の戴冠式が行なわれた。

 ウラジーミルの「ホテル」。ログハウスの室内は涼しく快適であった。
 お盆に載せたパンをお客がちぎって食べるのが、この地方の「伝統的なおもてなし」である。
 ウラジーミルの北東、ボゴリューボヴォ市郊外、ネルリ川の岸辺にある「ポクロフ・ナ・ネルリ教会」。教会へはボゴリューボヴォ駅から4kmほど歩く。
 白鳥の様に美しい「ポクロフ・ナ・ネルリ教会」の姿が川面に映っていた。現地ガイドの「イワンさんと並んで記念撮影」する。
 帰り道「シベリア鉄道の鉄橋」に旅客列車が走っていた。列車はモスクワのヤロスラヴリ駅から、日本海岸のウラジオストク駅まで約7日間をかけて疾走する。壮大なロシアを感じる眺めであった。

「ボゴリューボヴォ駅」のホームから見える「ボゴリューボヴォ修道院」。
 ホームの前を軍用列車の様な厳(いか)めしい姿をした電気機関車が走っていた。
 ホームのベンチに「地元の人」がノンビリと電車を待っていた。ロシアの田舎町を感じさせる「長閑(のどか)な光景」であった。
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