ロンドン(2) Slide show
 中世の監獄ロンドン塔、人類の遺産を結集した大英博物館、歴代王の住居バッキンガム宮殿、テムズ川クルーズテムズ川遊覧船、世界最大の観覧車ロンドン・アイを観光する。08.8.9
 
 ロンドン塔は女王の要塞宮殿であったが、後に貴族の政治犯を幽閉、処刑する監獄として使用された。世界最大530カラットのダイヤモンド「アフリカの星」が保管されている。
「ロンドン塔」は監獄と呼ぶのに相応しい様相をしている。

 外塀(べい)の「入口周辺」は今日風な壁で出来ている。
 そこから奥にある「塔の入口」に向かう。
「塔の入口」には、黒に赤い縁取りのコートを着た衛兵が立っていた。
 彼らは「ヨーマン・ウォーダー」と呼ばれ、約40名が家族と共にここに居住している。イギリス軍隊で22年以上勤め上げた、優秀な退役軍人の中から選抜された人で、観光客のガイド役を務めている。
 ロンドン塔から眺めたテムズ川に架かる「タワーブリッジ」、我々の見学はここまでで終了。巨大ダイヤを見られなくて残念…。
 
 大英博物館は世界最古最大の博物館で年間入場者数は700万人にも達する。有名な展示物はロゼッタストーン、パルテノン神殿の彫刻群、ミイラである。しかしカイロ博物館で見たミイラの方が臨場感に溢れ迫力があった。ここはパンダを動物園で眺めるのと同じ感覚だが、入場無料でフラッシュ撮影出来るから見学する価値は十分ある。
 鉄格子の門を通ると広場があり、その正面に「大英博物館」の入り口がある。
「ロゼッタ・ストーン」はエジプトのロゼッタで1799年に発見された石碑。紀元前196年にエジプトで開かれた宗教会議の布告を書き写したものであり、紀元前の3種類の文字で書かれている。

「ラムセス二世の胸像」紀元前1299年頃のエジプト史上最も偉大なファラオ(王)である。
 アッシリアの彫刻「有翼人面獣身像ラマッス」。紀元前900年頃のアッシリアは強大な大帝国であった。その彫刻は非常に完成度が高く端整さが特色である。

 巨大「ラマッス」の石像。どこから見ても4本足に見えるよう5本足になっている。
 アッシリアの宮殿の壁にあった「ライオン狩りの浮き彫り」。百獣の王を殺し、全征服者たる事を誇示している。アッシリア王は好戦的で残虐であった。
「大理石の浮き彫り」はギリシャのパルテノン神殿にあったもの。

 同左
 同左
 同上
 疲れたので「一休み」。これらの彫像は、ギリシャがオスマン帝国の支配下にあった時代、戦火を逃れるため?イギリス大使が1801年から5年間かけて持ち帰った。

「クサントスの権力者一族の墓」は紀元前380年前のもので、現在のトルコにあった。
「茂みの中のヒツジ」は紀元前2600年古代バビロニアの都市、ウルの巨大墳墓で発見された金細工。
「ウルの帽子」はウルの高貴な人が被った帽子。左と同じ出土品。黄金や宝石は時を超えても、その輝きを失わない。故に人は永遠の価値を、其処に見出すのであろう。
「古代エジプト庶民のミイラ」は紀元前3100年頃砂漠に埋葬され、その極度な乾燥で自然ミイラ化した。ミイラ処理して地下室に埋葬する王家のものより保存状態が良く、ここまで完な形で残っているのは珍しいそうだ。以下6種のミイラは全てエジプト産。

「制作に失敗したミイラ」。ミイラ化に失敗すると白骨化するらしい。
「老婆のミイラ」は紀元前600年頃のもので、ファラオ(王)のものではない。心臓は習慣により元の場所に残されている。身体は松ヤニで磨いてあり、非常保存状態が良い。
「黄金色の女性のミイラ」はラムセス二世時代に作られた。現世に貴族だった者が、来世も貴族として栄耀栄華(えいようえいが)を享受し、生き続けようと願ったのであろう。

「ミイラ群」は貴族か資産家が、永遠の美と復活を願ったのであろう。もしかしてバイオテクノロジーで蘇る方法を知っていたのではないだろうか。
「ミイラ棺の内部構造」は考古学を紐解くタイムカプセルである。だが、貧しい庶民の現世は何時の世も過酷であり、来世に期待などしなかったであろう。王家の墓はあるが、貧しい庶民の墓の話は聞いたことが無い。

「猫と魚のへびのミイラ」貴族は来世でも、ペットを飼うつもりだったのであろうか。それとも古代エジプト人は、ミイラおたく、だったのかも知れない。
「名称不明の仏像」鑑定団や骨董商が喜びそうな一品である。
「名称不明の焼き物」色、形共に素晴らしい和みの銘品である。日本のかな?。
「エドワード7世の像」在位1901年〜1910年。母ヴィクトリア女王の死去に伴い、60歳の高齢で即位、国王となった。世界各地を訪問し、優れた外交センスで英仏協商、英露協商を成功させ「ピース・メーカー」と称されたが、1910年68歳で没した。
 
 バッキンガム宮殿はエリザベス女王の住居で、各国元首を迎える際の迎賓館となっている。赤い上着に黒い熊の毛皮の帽子を被った衛兵たちが、交代パレードを行う様子を幸運にも観覧することができた。
 宮殿警備の「お巡りさん」。
 宮殿前は黒山の「人だかり」であった。
 宮殿の門から中庭に衛兵が「退城」してくる。

 先頭の「騎馬警官」が先導していた。
 次は「ブラスバンド」の衛兵が行進して来る。
 後方の衛兵は「銃」を担いでいた。引き続き入城のパレード団と交代するのであろう。
 
 テムズ川遊覧船はビックベン近くの船着場から、タワーブリッジを過ぎた当たりまで往復40分のクルージングである。
 世界最大の観覧車「ロンドン・アイ」が回っていた。

「遊覧船」からはビックベンが良く見える。
「遊覧船デッキ」の様子。
「タワーブリッジ」下の跳ね橋は週に4回八の字型に上がる。この橋は「ロンドン橋落ちた」で歌われるのとは別物である。
「女王陛下のベルファースト」が係留されていた。これは第二次世界大戦で使われた巡洋艦である。
「高層ビル街」はあったが、ロンドン塔を見落としてしまった。
 
 ロンドン・アインは世界最大の観覧車で直径は135 メートルあり重さは1900トン、カプセルは25人乗り、一周するのに30分かかる。
 普通の「観覧車」と同じで、常に動いているから25人乗るのは忙しい。
「絶景」であるであるが、著名な建造物はビックベン位しか見えない。単なる市内観光用観覧車である。

 監視?カメラに写っていたので、その「絵はがき」を記念に購入した。
「国会議事堂とビックベン」、その後ろに「ウエストミンスター寺院」が建っている。手前の橋は「ウエストミンスター橋」。
 遙か遠くに「セント・ポール大聖堂」が見える。
「ハンガーフォード鉄道橋」近年両サイドに歩行者専用橋が追加された。左奥に見えるのは「チャリングクロス駅」。
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