ベルサイユ宮殿 Slide show
 フランス国王ルイ14世が1682年に建てた宮殿である。彼は「朕(我)は国家なり」と宣言し「太陽王」と呼ばれた。パリの南西22キロのイヴリーヌ県ヴェルサイユにあり、バロック(総合芸術)建築の代表作で、豪華な建物と広大な美しい庭園で有名である。しかしヴェルサイユ宮殿には王族用のトイレしか無く、王族以外は庭園で用足しするか携帯便器を持参していたという。「マリーアントワネット」は名門貴族ハプスブルク家の出身でローマ皇帝フランツ1世の11女で、フランス国王ルイ16世の王妃である。フランス革命の混乱の中で革命政府から死刑判決を受け、コンコルド広場で夫と共に37才で断頭台の露と消えた。彼女は享楽的性格の浪費家であり、かつギャンブル好きでフランス王室の財政を破綻させた。だが子供が生まれると賭博は止め良き母親となった。フランス革命前に民衆が貧困と食料難に陥った際、有名な「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と暴言を吐いたとされる。1972年の池田理代子作『ベルサイユのばら』には、彼女がオーストリアからルイ16世に嫁ぎ、取り巻きの誘惑に乗せられ処刑される悲劇の女王として描かれている。2006年にはソフィアコッポラ女性監督の「マリーアントワネット」が上映された。08.8.9
「ベルサイユ宮殿の入口」付近は、金をあしらった鉄格子で囲われている。
「正門の王の入口」黄金の紋章が輝いていた。
 中庭にある金色に輝く「太陽王の印」と金の鉄格子。当時は純金だろうから、莫大な資産家だったのが伺える。

「ヴェルサイユ宮殿」とその「庭園」。
「ラトラの泉と庭園」マリーアントワネットはこの眺めがお気に入りで、日々窓越しに眺めていたそうだ。

 王妃の華やかな時代に肖(あやか)って「記念撮影」する。晩年は頂けないが…。
「マリーアントワネット」の肖像画。ベルサイユ宮殿の女王で、ドラマの立て役者でもあり、悲劇のヒロインとして今も人気がある。

「ルイ16世の肖像画」優柔不断な人物とされるが、王妃が招いた経済破綻の尻拭いで処刑された不運な王である。
「礼拝堂」ルイ16世とマリー・アントワネットの婚礼が行われた。
「王妃の寝室」マリーアントワネットがここで王太子を出産した。子供は長女マリー・テレーズだけが生き残り動乱の中を72才まで生き延びた。
 豪華絢爛な「鏡の間」第1次世界大戦の敗戦国ドイツとの終戦文書「ヴェルサイユ条約」の締結が行われた。
「ルイ14世の肖像画」只ひたすら贅の限りを尽くしたお陰で、この宮殿が世界遺産として残った。おまけに長寿を全うしたから非常に幸運な人物である。
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