ベ ル ガ マ Slide show
 紀元前2世紀から1世紀に、アッタロス朝ペルガモン王国の都として栄えたヘレニズム(ギリシャ文明)都市である。紀元前1世紀にペルガモン王アッタロス3世の遺贈として領内のギリシア諸ポリスを除いた全領土をローマ帝国に寄贈することによってローマ帝国の属州となった。その後もアナトリア(小アジア)に置かれた属州アシアの中心となりローマ都市として繁栄を続けた。遺跡からの出土品の多くは、ドイツのベルリンにあるペルガモン博物館に収蔵されている。遺跡には劇場や神殿があり、ヘレニズム文化が栄えたかつてのペルガモンの繁栄をしのばせている。ここの図書館は一時アレクサンドリアの図書館に次ぐ規模に達し、そのため同国でパピルス(エジプト産の紙)の代替品として羊皮紙の生産と使用が奨励された。「ペルガモン遺跡」はベルガマ市内の丘陵にあるアクロポリス(自然の丘に築かれ神殿や砦)である。07.5.10
 アイワルクからの道路沿いにはトルコ特産「オリーブの苗木」が沢山植えられていた。

「ペルガモン遺跡」はベルガマ市内の丘陵にあり坂を登って入場る。
 坂の途中から眺めた「町の風景」。住宅が密集して建ってた。
 下車しガイドさんに連れられて「遺跡見学」に向かう。
「入口」は城壁の脇にある。
「トラヤヌス神殿」は縦6本と横9本の柱で囲まれた神殿で117〜118年頃に建てられた。

 コリント式(古代ギリシアの繊細優美な列柱)の柱の上に「屋根の一部」が残っていた。

 屋根の壁には「守護神メデューサ」の顔が掘られている。
 アテナ神殿跡の下に1万人を収容できる急勾配な「大劇場跡」があった。
「貯水槽の跡」があった。コインを穴の中央にある柱の上に乗せると幸せになれると言われている。
「柱の上」にはコインが乗っていたが、穴底のコインは空に近い。係員が回収しているのであろう。
「水道跡」があった。紀元前2世紀には近隣のマドラ山からこの丘まで全長80キロメートルの水路が引かれていた。

 役人達が使った「通路」を抜ける。
 遺跡の上からは「ベルガマの街並み」が一望に見渡せた。

 北東側に「農業用ダム湖」があった。
 芥子(けし)に似た「花」が石垣の側で妖しく咲いていた。
 カヘェテラスでガイドさんと「記念撮影」する。
「有料トイレ」は1トルコリラ(90円)した。
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