ダ ナ ン Slide show
 18世紀になるとホイアン港が砂の堆積によって次第に使用できなくなったため、ダナンが港として成長し始めた。1835年、グエン朝の明命帝は全ての欧州船にダナンに入港するよう勅令を発したため、ダナンがベトナム中部最大の港となった。20世紀始めには食品加工業や造船業が発達しベトナムの主要貿易港となった。1965年3月アメリカ海兵隊が上陸して大規模な米軍基地を建設した。1968年の旧正月に南ベトナム解放民族戦線がダナン駐留米軍に大攻勢をかけたテト攻勢はベトナム戦争激戦の一つである。家庭訪問 周辺観光 07.4.24
 
 家庭訪問 ダナンの一般の家庭を訪問する。
 白壁造りの「住宅」訪問した。庭にライスペーパー(バンクオメ)が干してあった。
 奥さんがご当地名菓「ライスペーパー」の焼き方を披露してくれた。
 添乗員さんが「体験実習」する、ナカナカの腕前であった。試食を忘れたのでお味の方は分からない。

 ここではライスペーパーを「バンクオメ」と呼んでいる。米の粉でクレープを作り、それを天日で干したものである。「台所」のテーブルの上に三枚並べてあった。
 整頓された寝室に、日本と同じ様な「ベッド」が置いてあった。
 大きな親豚が飼われていた。美味しそうな「子豚」も沢山いたから、ベトナムは「食の豊かな国」である。
 
 周辺観光をしたが田畑と空港があるだけで名所旧跡などは無かった。
「放牧牛」が草を食べていた。
 水田の後方に見える禿げ山は「枯れ葉剤を浴びた山」で、未だに樹木が生えないそうだ。

 田んぼの所々に「爆弾投下跡」の穴があり水が溜まっていた。
 元気な「女学生」が自転車で走っていた。
「バイク」も走っていたが、他の地方より台数が少ない。
 近くの山から採掘した大理石を「彫刻」し製造販売していた。欧米人向けの土産品だが、格調は…である。

 夕食でスタイリッシュな「ウエイトレス」さんのお出迎えを受ける。この国はメタボな女性がいない。
「ダナン空港の売店」には音楽CDなどが販売されていた。美人の売り子さんを相手に男性客が長々とダベッテいた。
 ホーチミン行きの遅れで「搭乗係員」さんが、手持無沙汰そうに井戸端会議をしていた。
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