ミーソン Slide show
 この遺跡は2世紀末から17世紀の1500年間ベトナム中部から南部にかけて栄えたチャンパ王朝の貴重な建造物群である。だが、ベトナム戦争でミーソンに多くのベトナム兵士が潜伏しているとして米軍の爆撃を受け多くの遺跡が破壊された。07.4.24
 遺跡の入口は橋の上にあり、新しく造られた「門」が立っていた。

 橋を渡り米軍が残した「ジープ」に乗って遺跡に向かう。
「遺跡」は爆撃と風化の為に、酷く傷んでいた。
「レンガ」を敷き詰めた通路と、崩れ落ちそうな壁があった。石の柱も置いてある。

「遠くの山」だけが、昔と変わらぬ風景である。
「入口」のある遺跡があった。
 室内にはヒンズー教像を浮き彫りした石版があった。
 その後ろに「大きな爆弾」が置いてあった。バーミヤーンと同じ「創造と破壊の顛末」を表している。

 外壁には「沢山の仏像」が彫刻されているが、宗教対立から仏の顔が全て削り取られていた。
 好戦的なヒンズー教徒は温厚な仏教徒を排他し「顔のない仏像」にしてしまう。
「小さな仏像」だけは被害を免れていた。何時の世も祈るだけでは生き残れない。
 ヒンズー教のシンボル「リンガ」があった。ミーソンは、今昔蛮行記念跡地とも言える。
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