ラ サ(3) Slide show
 今日はラサを離れる日である。昨夜は酸素ボンベが無く酸素なしで寝たため高山病がぶり返し朝から頭痛がした。そしてバスの中で携帯用の酸素ボンベを吸い続け何とかラサ・クンガ空港にたどり着き、ヤットの思いで帰国した。今はラサで買ったチベット人歌手、チョンショル・ドルマー(琼雪卓玛 CHONGSHOL DOLMA)が歌う空の果てのチベット流行西蔵 を聴きながら高山病で苦労した旅行を懐かしく思い出している。
「学校」らしい新しい建物が見えた。チベット人の小学校進学率は都会で80%位、田舎で60%以下である。
 ラサ市外にある「住宅」。これがチベット人の住宅様式なのであろう。
「ヤルツァンポ川」に架かる長い橋の袂(たもと)に水葬場がある。チベットでは「川魚を食べない」そうだ。何処かのレストランで少し食べたのだが…。

「カンパ峠に向かう道路」。舗装される以前は難所だったそうだ。

 山の斜面で野生のラマが草を食べていた。
 カンパ峠(4990m)にある建物。右側は有料トイレ。
 カンパ峠から眺める「ヤムドク湖(4400m)とノジンカンサン峰(7202m)」。
 カンパ峠で「ヤクに乗って」記念撮影した。有料(10元)だが良い記念になった。
 峠を下って「ヤムドク湖畔」から「ノジンカンサン峰」を眺める。青い湖面に水鳥が泳ぎ、吸い込まれそうな風景であった。

「元気な子ども」と一緒に記念撮影して気力を貰う。この環境ではヤクの様に余程逞しくないと暮らして行けない。

 ヤムドク湖畔の「タルチョ」が風になびいていた。現世との執着が絶てる様な風景であった。
 ラサ空港に近づくと何台もの「人民解放軍トラック」とすれ違った。見るだけで緊張する光景である。
 酸素ボンベが空になる頃「ラサ・クンガ空港」に到着する。
 空港ロビーの「店舗」でチベット民族衣装を息子の嫁さんに買った。

「待合室」でお仲間が元気そうに談笑していた。
 午後4時頃に「ラサ・クンガ空港」から成都空港へ向かう。チベット「拉薩」の文字もこれが見納めである。
「成都空港」の空港ロビーに「パンダの縫ぐるみ」が沢山売っていた。日本で人気の三国志に関するものは見あたらかったから、ご当地では関心が無いようだ。共産主義とは無縁な投資関係の雑誌が多数販売されていた。
 成都空港の「赤い看板」を見ながら北京に向かう。何時の間にか頭痛は治っていた。
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