ソ ウ ル Slide show |
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市内観光で夜の明洞(ミョンドン)やソウルタワーなどを観光する。明洞はショッピング、グルメ、エステなどが一ヶ所に集まったソウルを代表する繁華街である。中国の足裏マッサージと同じエステツアーもあったが疲労困憊で遠慮した。 |
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ソウル市街に入ると建築中の「高層マンション」が見えた。ここでは低層集合住宅や戸建住宅よりも高層マンションの方が人気が高い。地震が少ないので高い建物が容易に建設出来るそうだ。 |
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市の真ん中を横切って流れる「漢江(ハンガン)」と中層マンション。韓国ではマンションのことを「アパート」と呼んでいる。 |
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冬の寒さが厳しい韓国のマンションには「ベランダ」がなく、全室床暖房となっている。住戸面積は百平方メートル位まで大型化している。 |
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「街中の道路」にはヒュンダイ製の自動車しか走っていなかった。 |
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市の中心地、太平路と鐘路との交差点に、釜山と同じ秀吉を撃退した「李舜臣(イ・スンシン)将軍の銅像」が立っている。韓国随一の英雄なのであろう。 |
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おなじ交差点の脇に国道網の基準点になる「碑閣(ひかく)」と呼ばれる楼閣が建っている。これは日本橋の道路元標に相当する。 |
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交差点の横断歩道を「お洒落な美人」が渡っていた。徴兵制の影響かタフそうな男性が多い。携帯マニアの日本男性とは体格が違う。 |
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「学生風の女性」や家族連れの人もいた。食生活の影響かメタボな人は少ない。 |
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夜の「明洞(ミョンドン)」通りはお祭りの様に賑やかであった。日本の新宿相当なのだが、歌舞伎町の様な歓楽街ではない。 |
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明洞とは「明るい街」と言う意味で、健全な若者で溢れている。 |
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若いカップルが大勢いた。キャバクラ等は無く、怪しげな客引きなどは見かけなかった。 |
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南山にあるソウルタワー(海抜479m)。山の上にあるのでタワーの姿が遠くから良く見える。 |
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「西側の眺め」。展望台を一周したが天候の為か百万ドルの夜景とは言い難かった。 |
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レーザー光線で「ライトアップ」され30分毎にソウルの花が映し出される。間近で見ると大音響の演奏付きで迫力十分なアトラクションであった。 |
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「人間アート」が空中に浮かんでいたが暗いイメージで余り宜しくない、艶やかなチマチョゴリを演出する方が良いと思うのだが。 |
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食堂で日本人観光客?が大勢で「カルビ」を食べていた。だが、僅かな量で一人前2000円もするから驚きである。余りの高額にお味の方は忘れてしまった。 |
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空港に向かう途中「ソウルオリンピックスタジアム」があった。 |
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雨降るソウル「仁川国際空港(インチョンクッチェコンハン)」で大韓航空機に乗り帰国の途に付いた。 |
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高句麗鍛冶屋村は九里市が歴史文化のテーマパークとして建設したもので、前37年〜後668年に栄えた高句麗村の様子が克明に再現されている。ここはヨン様主演の太王四神記のロケ地で有名になった。
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「入口の門」付近は木の階段とセメントで整備されている。 |
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1500年以上も前の「レプリカの建物」。オンドル無しの土間造りなのでさぞかし寒かったであろう。 |
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昌徳宮(しょうとくきゅう チャンドックン)は李氏朝鮮時代の1405年に建てられた宮殿で朝鮮の宮殿の中で王が最も長く住んだ王宮である。 |
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「敦化門(とんかもん トンファムン)」 は昌徳宮の正門として1412年に王の出入り口として建てられたが焼失し1609年に再建された。2階の望楼に鐘と太鼓があり時間を知らせていた。 |
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宮殿ガイドさんの案内で「仁政門(インジョンムン)」へ向かう。門をくぐると仁政殿がある。 |
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「仁政殿(じせいでん インジョンジョン)」は国家の重要な儀式を行った所である。ガイドさんが日本語で説明していた。 |
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「宣政門(ソンジョンムン)」の奥に公式の執務所、宣政殿がある。 |
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昌徳宮の屋根には魔よけの小さな鯱(しゃちほこ)がある。西遊記の三蔵法師、孫悟空、猪八戒、沙悟浄などが並んでいて、その数が多いほど重要な建物とされている。
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「大造殿(テジョジョン)」は王と王妃の寝殿であり、その家族も生活していた。 |
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「楽善斎(ナクソンジェ)」は1847年に建てられ、李王朝のラストエンペラー妃、方子(まさこ)さまが晩年を過ごした場所。 |
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「楽善斎の室内」方子妃は皇族の梨本宮家(なしもとのみやけ)から、ラストエンペラー李垠(イウン)に嫁ぎ、1898年87歳で逝去されるまで、ここに住まわれた。 |
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「芙蓉池(プヨンチ)」は国王が釣りを楽しんだ池で、チャングムの誓いでチャングムが散策した場所。 |
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出口付近に樹齢750年のビャクシン(香木)がある。その前に親子連れが座っていた。 |
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清渓川(チョンゲチョン)はソウル中心部の鍾路区(チョンノグ)と中区(チュング)の間を西から東へと流れる人工河川で全長約5.8kmある。1960〜90年都市開発に伴い清渓川の上に清渓高架道路を作ったが、老朽化が進んだため河川の改修工事が行われ2005年に約40年間道路の下に隠されていた清渓川が復元された。
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清渓広場にある高さ20mのモニュメント「スプリング」が川の始まりである。 |
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宗廟(チョンミョ)は李氏朝鮮王室の霊廟(先祖の霊を祭った宮)である。儒教の先祖崇拝思想に基づき造られた建物で子孫の精神的な支えとなっている。
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外大門をくぐると三つに区分けされた「三道(サムド)」の石道がある。中央は神が通る「神路」、東側は王が通る「御路」、西側は皇太子が通「世子路」と言う。「神路」は観光客も通行禁止である。 |
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「斎室(ジェシル」は王と皇太子が祭祀前日に身と心を清めた場所。 |
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「正殿(チョンジョン)」 宗廟の中心をなす建物で、歴代の王とその王妃の位牌、計49位が安置されている。単一の木造建築物としては世界最長(総101m)である。 |
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正殿の「板門(パンムン)」は位牌が安置された各部屋の扉である。表面には魂が自由に出入りする隙間がある。 |
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「永寧殿(ヨンニョンジョン)」は別廟で王と王妃の位牌、計34位が安置されている。 |
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仁寺洞(インサドン)は伝統的な陶磁器や工芸品の店が軒を連ね、ショッピングや観光で訪れた外国人観光客で賑わう通りである。
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「仁寺洞」の標識の前に日本語で書かれた工事看板があった。 |
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裏通りにある「飲食店」。余り衛生的とは思えないが、本場の味が味わえるのかも知れない。 |
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キムチの漬け物らしき瓶(かめ)が並んだ「定食屋」。ここは小綺麗である。 |
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王様や両班(ヤンバン)に献上した茶菓子「クルタレ」を作っていた。その見事な手さばきに「ワーッ」と歓声が上がっていた。 |
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韓国名産「紫水晶アメジスト」のゴールデンジェリー店があった。アメジストを身に付けるとストレスを解消してくれるそうだ。 |
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水原華城(すいげんかじょう スウォンハソン)は祖父に謀殺された父への孝行心から正祖(せいそ チョンジョ)王が1796年に築城した。また封建的特権の根絶と強力な王道政治実現のために首都の国防要塞にしたとも言われる。正祖は李氏朝鮮後期での最高の王とされている。
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「東将台(トンジャンデ)」は兵士たちの訓練を指揮した所で練武台とも言われる。 |
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全長5Kmの「城郭」には無数の鉄砲狭間が開いていた。西洋式工法も取り入れ建材はレンガと石材を使っている。 |
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上方の城郭にある「訪華随柳亭(パンファスリュジョン)」と水原川にある水門の「近華虹門(かこうもん ファホンムン)」。 |
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南大門市場は韓国最大の総合市場で、李氏朝鮮時代の城門である崇礼門(南大門)から徒歩5分の所に位置する。南大門は2008年2月10日放火によりわずか5時間で焼失した。初期鎮火に失敗したとも言われ、復元には2〜3年の歳月と約22億円の予算を要すとされている。
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「恵みの雨」が降ったのでほこりが無くて快適であった。 |
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通りの真ん中に「露店の魚屋」があって大きな鯖を切っていた。 |
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「豚足の揚げ物」を売っていた。日本語で商品説明が書いてある。 |
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「海苔と朝鮮人参」を売っていた。朝鮮人参はお値段にも依るだろうが効能は??である。一和の製造直販店で買った人参は全く効かなかった。 |
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「松茸と朝鮮人参」を売っていた。朝鮮人参は高額でも空港で買う方が安心である。 |
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奥まった所に「食堂」があった。食事時間帯を外れていたのでお客は少なかった。 |
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