ト レ ド Slide show
 人口約6万人、イベリア半島最大の長流タホ川に囲まれた岩山の上に築かれている。4世紀から5世紀初めにかけてイベリア半島に西ゴート王国が建国され、天然の要塞を為すトレドを首都に選定した。王国は711年アフリカからのイスラム教徒の侵入によって崩壊したが、トレドは引き続き宗教・文化等の中心として約300年間栄えた。11世紀初めキリスト教徒が奪回しスペイン王国の首都となった。そして1561年首都がマドリードに遷都されるまで繁栄が続いた。トレドは長いスペインの歴史の中でその統治者を変えながらも常に政治、宗教、学問等の中心として栄えてきた。現在、街全体が国宝に指定され新しい建築物の建て増しは許されていない。タホ川の対岸から眺めるトレドの街並みは、中世に栄えたスペイン王国を彷彿(ほうふつ)させ、訪れた誰しもが感動する観光スポットである。07.12.22
 対岸から眺める「トレドの街並み」。街全体が博物館と賞され世界遺産に指定されている。
 一際高い尖塔の「カテドラル(大聖堂)」は13世紀に再建造されたもので、現在もスペイン・カトリックの総本山として重きをなしている。その左側にある「サント・トメ教会」は14世紀のムデハル様式の塔を持つ小さな聖堂でエル・グレコの傑作「オルガス伯の埋葬」が展示されている。

「アルカサル(城塞)」はローマ時代に裁判所があったと言われ、13世紀の古い要塞を16世紀に王城として改装された。スペイン内戦で破壊されたが修復され、現在は「市民戦争博物館」になっている。
 西のタホ川に架かる13世紀に造られた「サンマルティン橋」。
 街の通りには大勢の「観光客」が歩いていた。
 当時は鉄製品の生産でも有名であった。その名残で「土産店」に中世のピストルや剣、鎧等が売られていた。何故か「日本刀」らしき物も並んでいた。

 路地からカテドラルの「尖塔」が覗いて見えた。
 カテドラルへはファサード(正面)にある「時計の門」付近から入場する。
 エル・グレコ作「聖衣剥奪」。1577-79年37歳の作品でキリストが十字架かけられる直前の衣服を剥がれる姿を主題に制作した。「オルガス伯の埋葬」も置かれていたが、ガン患者の私には縁起が悪く撮らなかった。

 中央礼拝堂の祭壇にある「黄金のレターブル」(祭壇の背後にある衝立(ついたて)もしくは飾り)。当時の繁栄を物語る様に、新大陸からの黄金で埋め尽くされていた。正面は頑丈な鉄格子でガードされているのでその隙間から撮影した。
 天井近くまで「黄金」に飾られ、眩(まばゆ)く「金色」に輝いていた。古今東西如何なる巨匠の作品も、この壮観さには及ばないだろう。ガイドブックには余り紹介されていない必見スポットである。
 トレドの住人らしき「上品な青年」が歩いていた。ここは電気や高級車はあるが「生活匂のない死の町」とも言われている。街全体が博物館なので、それに相応しい人しか暮らしていないのだろう。
BACK HOME