イスタンブール Slide show
 海峡は南北約30km、幅は最も狭い地点で700mで、両岸の全域がイスタンブール市の行政区内である。
 乗船場に向かう。「警備兵」に撮影させて貰った。
「カドウキョセイ」桟橋からヨーロッ側に向けて出航する。
「蜃気楼」の様にヨーロッパ側の街並みが浮かんで見えた。

「ブルーモスク」が遠くに望めた。
 ヨーロッ側の「街並み」。
「第一ボスポラス橋」が架かっていた。橋の左がヨーロッパ側。

「豪華客船」が停泊していた(ヨーロッパ側)。
「ドラマバフチェ・ジャミー」(ヨーロッパ側)。

「ドルマバフチェ宮殿」(ヨーロッパ側)。
「オルタキョイ・ジャミー」(ヨーロッパ側)。
「クレイ海軍学校」(アジア側)。
「不知名モスク」(アジア側)。
 
 アヤソフィヤは赤茶色の美観なモスクでビザンチン帝国時代の537年にユスチニアヌス帝が創建し、ギリシャ正教の総本山となった。1453年のオスマン・トルコ支配と同時にイスラム・モスクに改修され、現トルコ共和国になって1934年からは博物館となっている。
「アヤソフィヤ」の外観。
 黒の円板に、金の文字をあしらった「カリグラフィー」には、アッラーやムハンマド名などが刻まれている

「ミフラーブ」とはイスラム教のメッカの方向を示すくぼみで金色に輝いていた。
「ベルガマの壷」と呼ばれる、大理石で出来た大きな壷があった。
「洗礼者ヨハネと聖母マリアに囲まれたイエス」を描いた有名なモザイク画は南回廊にある。
「汗っかきの柱」の穴に親指を入れ右回りに一回転すると願い事が叶うと言われている。
 
 ブルーモスクはアフメット1世が1609年から17年間かけて創建してもので、強大なオスマン帝国時代の繁栄を忍ばせる。内壁は青を基調とした二万枚以上のイズニック・タイル(オスマントルコのタイル)で飾られ、ブルーモスクの名前の由縁ともされている。
「ブルーモスク」の外観。入口は観光客で混み合っていた。

「ステンドグラス」の明かりだけでは暗いので電灯も灯っている。
 壁一面「イズニック・タイル」が敷き詰められていた。
 観光していた「ご家族」を撮影させてもらう
「美人の娘さん」と一緒に記念撮影させてもらう。
 中庭から見る「ブルーモスク」は見る者を威圧するようにそそり建っていた。
 
 地下宮殿は地下貯水池のことで、4世紀から6世紀にかけて造られたものと言われている。
 ここは映画「007 ロシアより愛をこめて」の撮影場所として使われた。
 336本の柱が宮殿のように見えるので「地下宮殿」と呼ばれる。
 守護神「メデューサの顔」が柱の土台になっていた。鯉と金魚が泳いでいたので水は綺麗である。
 
 グランドバザールは東西交易で栄え続けた巨大な屋内市場で、店舗数は4400軒あり中近東最大と言われている。
「入口」は狭く周囲は買い物客で溢れていた。ガイドがここでの買い物は、特に要注意と何度も言っていた。

 入口を進むと無数の「店舗」が並んでいた。横道に入ると迷子になりそうである。
 
 陶器の店舗に「皿」が沢山並べてあった。
 
「中央の通り」は幅が広いので、ゴッタ返した感じはしない。

 警備の「巡査」が歩いていた。
 中央の通路を真っ直ぐ進むと「反対側の出口」にでる。
 出口近くの食堂にトルコ名物「ケバブ」があった。円錐形に焼いた肉料理を、店員が長い包丁で削る取って配膳する。

 出口を少し行くと「路面電車」が停まっていた。
 大通りを走る「路面電車」。
 道路には車が溢れ、近くに「ブルーモスクの塔」が見えた。
「横断歩道」の人通り。
 歩道も「通行人」で混雑していた。
 
 ベリーダンスディナーショーでトルコ料理を味わいながらディナーショーを観劇する。
 美しい衣装を纏って「民族舞踊」が披露された。
「ベリーダンス」のダンサーが、汗だくの熱演で踊ってくれる。
 動きの激しい踊りで、観客を魅了し「トルコの夜」を満喫させてくれた。
 
 トプカプ宮殿はボスポラス海峡近くに建つ、オスマン・トルコ帝国の歴代スルタンが居城とした宮殿である。15世紀半ばに創建され、19世紀まで増改築を繰り返し1924年から博物館として公開している。広大な敷地に、3つの中庭と150以上の部屋があり、最盛期には5千人の使用人が生活したといわれる。
 道路は「朝の通勤ラッシュ」が始まっていた。
 見納めの「街並み」と街路をバスの中から眺める。

「トプカプ宮殿」の城門に到着する。
「衛兵」が銃を持ち瞬きもしないで立っていた。
 正殿の「板門(パンムン)」は位牌が安置された各部屋の扉である。表面には魂が自由に出入りする隙間がある。
 更に進むと「幸福の門」があり、入口に金箔で飾られた天井があった。この先に「宝物館」があり、鶏卵大の86カラットダイヤモンドや、世界最大のエメラルド3個をはめこんだ短剣などがあったが、撮影禁止である。

「仁寺洞」の標識の前に日本語で書かれた工事看板があった。
 中庭に「子連れの観光客」もいた。
 外に出ると、色鮮やかな「土産店」があった。
 
イスタンブール・アタテュルク空港から充実した八日間の旅を無事に終え帰国の途につく。
 熱心に説明してくれた「現地ガイド」さんに感謝とお別れの握手をする。
「モスクワ空港」で乗り換えて成田に向う
 ロシア航空機内で赤ちゃんが「おしやぶり」を吸っていた。おしゃぶりは外国も日本と同じである。帰途所要時間は待ち合わせ含みで15時間程であった。
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