コペンハーゲン Slide show
 デンマーク王国の人口は541万人で日本の1/23、本国の面積は九州と同じであるがグリーンランドが同国の自治領なので、それを含めるとヨーロッパで2番目に広い国になる。首都のコペンハーゲンには50万人が住んでいる。EUに加盟しているがユーロには不参加で通貨はデンマーククローネである。第二次大戦でドイツの侵攻を受けたが、即時降伏したので古い建物が破壊から免れ現存した。童話作家アンデルセンの出身国で、人魚姫、みにくいあひるの子、マッチ売りの少女などの名作を残している。コペンハーゲンの街並みは赤レンガなどの建物が並びお伽(とぎ)の国のようである。観光最終日にデンマーククローネを使い切るため地元スーパーでビスケット類を大量に買い込み、重くなったバッグを押しながら帰国の途についた。これが予想外に美味しく是非お勧めの土産品である。06.8.10
 コペンハーゲン空港に「若いパパと子供」がいた。デンマークは父親も育児休暇が取れるから、子育て易い国である。

「アマリエンボー宮殿」を見学する。ここは1794年より王室の居城として使用されている。
 正午の「衛兵交代式」を見に、観光客が大勢集まっていた。
 宮殿の近くに大理石で出来た「フレデリクス教会(1894年)」が建っている。その正面にフレデリック5世の騎馬像がある。

「ゲフィオンの泉」に幸せそうな若いカップルがいた。鞭を振るう女神像とはミスマッチしているようだが…。
 丘の上から「幼稚園児」が海を眺めていた。
「引率の先生」が休憩していた。
「人魚姫」の像で若い女性が写真ポーズしていた、少し太めだが「可愛い笑顔」は人魚姫より勝っている。
「ニューハウン(新港)」には色鮮やかな建物が並び、水路にヨットや観光船が往来していた。ここに「アンデルセン」が長年住んだ建物も残っている。

「クリスチャンボー宮殿」は現在、国会議事堂、最高裁判所などとして使用している。屋根を葺(ふ)き替えしたのか、色がガイドブック等と異なって茶色になっていた。年月を経れば昔の優美な緑に戻るのだろうか。

 隣に建っている「証券取引所」の屋根は、昔のままの優美な緑色で変わっていない。
「市庁舎」前の横断歩路に、地元の人が大勢歩いていた。

 市庁舎前の広場を中心に、レンガ造りの赤い建物が囲む様に建っている。横断歩路には「大勢の人々」が途切れること無く行き交っていた。
「自転車専用道路」があって、サイクリング車やママチャリが走っていた。デンマークでは100万円の自動車が299万円もするので、自転車は必需品である。
 市庁舎の側にある「チボリ公園」の入り口。外周を20分位で一回りできる位の小さな遊園地である。アンデルセンはここにしばしば訪れ、童話の構成を練ったと言われている。

「コペンハーゲン中央駅」はチボリ公園の直ぐ側にある。
「中央駅ホーム」には改札口が無く誰でも入れる。
 市庁舎前の広場からは「歩行者天国」のショッピング通りにつながっている。

 大勢の人波をかき分けながら「おとぎ列車」が歩行者天国をゆっくりと走っていた。
 雑貨品の「露店」が沢山並び、見物人や買い物客で混雑していた。何処の国も女性はショッピング好きらしい。

 世界遺産「クロンボー城」を見学、ここはシェークスピアの戯曲「ハムレット」の舞台として有名な城である。
 城内の「中庭」は広くて綺麗である。入口近くにシェークスピアを記念した石版が掲げられていた。
 デンマークは小国故に、幾度も戦争に巻き込まれ苦労したらしい、沢山の「大砲」が海峡に向かって列んでいた。

城内には見事な「衣装」が展示してあった。
 コペンハーゲンから30Km離れたロスキレ大聖堂を観光する。「ロスキレ市役所」の右隣にあるのだが生憎外壁の補修中であった。

 ロスキレ大聖堂の「礼拝堂」で、デンマークの宗教はプロテスタントの福音ルーテル派である。
 デンマーク歴代国王の遺体を安置した「棺桶」が沢山並んでいた。辛気(しんき)臭くて不気味である。
 近くにハイスクールがあって「女子高生」が大勢歩いていた。ここの国は女性が真面目に勉強して国を支えているのそうだ。

 バイキング船博物館もあり「復元船」が展示してあった。ドクロ旗を掲げた海賊船のイメージとは違い小形であった。
 当時の「衣服」が飾ってあった。綺麗な色で染めてあり、今でも着て歩けそうである。
 観光客が「体験バイキング船」に乗ってオールを漕いでいた。こんな小さな船で略奪しても戦利品は幾らも乗らないから、別に専用の運搬船があったのだろう。
 強そうな「バイキング姿」の人を撮らせてもらう。このスタイルでフランスのノルマンディ沿岸の農家を荒らし回ったから童話の国デンマークもその昔は野蛮な海賊の国だった。
 みんなでホテルの「イケメン・ウエイター」と記念撮影する。バイキング料理のサーモンを心おきなく食べて、北欧の旅も無事に終了した。

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