鎌 倉
  浦和(JR高崎線)⇒戸塚(JR横須賀線)⇒鎌倉(バス)大仏・由比ヶ浜・鶴岡八幡宮・円覚寺⇒ 北鎌倉JR横須賀線⇒戸塚(JR高崎線)浦和
赤字は観光地  青地は出発宿泊帰着日
 桜の満開には少し早かったが日和がよいので身内で鎌倉散策に出かけた。数日前に購入したSIMフリーのスマホ(Xperia)で撮ったが位置情報付きでピンボケが無いのには驚いた。撮影日2017.4.2
鎌倉大仏
由比ヶ浜
鶴岡八幡宮
円覚寺方丈
 
 鎌倉大仏 北条泰時の鎌倉時代(1252年)に淨光という僧が諸国を勧進(かんじん)し浄財を集め大仏を建立した。当初は巨大な大仏殿に囲まれ青銅に金箔が貼られ金色に輝いていたが後の天災で露座になった。高さは約11メートルで奈良の大仏より4メートル低いが造像当初の姿を残し国宝に指定されている。
 大仏までは「JR鎌倉駅」からバスに乗って行く。

 仁王像の立つ「仁王門」から中に入る。
「拝観料200円」を払って先に進むと。
 見上げる程の「大仏」様が鎮座している。無病息災、家内安全を祈った。

 野ざらしなのに緑青の浮いた風格のある見事な「お姿」である。
 左横に「胎内拝の入口」があり背中に窓が二つある。
 内部は「空洞」になっていて鋳造の継ぎ目が見える。
「観月堂」は世界的に貴重な建物で1924年朝鮮からこの境内に移築された。
身内のショット。家内安全を祈ったのだが、二週間後に腸閉塞で12日も入院してしまった。

 由比ヶ浜 義経の妾であった「静御前」は男児を産んだが頼朝に命じられ赤子は由比ヶ浜に沈められた。支配者が源氏から北条氏に移ったのち新田義貞がこの浜から攻め込み鎌倉幕府は滅んだ。
 大仏殿から20分程歩くと「由比ヶ浜」に着く。
 新田軍は右方向の「稲村ヶ崎」から攻め込んだ。

 左に歩いて行くと「潮干狩り」をしていた。
 鶴岡八幡宮 平安中期(1063年)に源頼義が京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺に祀ったのが始まり。
 砂浜から少し歩くと「一の鳥居」があった。鳥居の下だけ道路が分かれている。
 更に歩くと左手に鎌倉駅東口があり八幡宮まで続く商店街の「小町通り」がある。(二の鳥居は撮り損ねた)

 小町通りを抜けると「三の鳥居」がある。
 鳥居を入ると「境内」は混みあっていた。
 静御前が源頼朝の求めに応じて舞ったとされる「舞殿」。

 舞殿の後方に「本宮」がある。
「大石段」を上ると拝殿がある。
 超満員の「拝殿」にお賽銭を入れ家内安全を祈った。

 本宮左手にある「丸山稲荷社」は室町中期の建物。
 円覚寺 鎌倉時代(1282年)に北条時宗が元寇の戦没者追悼のため創建し鎌倉時代を通じ北条氏に保護された。
 歩いて円覚寺に着く。階段を上がると「総門」がある
「仏殿」は工事中で中に入れなかった。(三門は撮り損ねた)

 境内にある「選仏場」は修行僧の坐禅道場。
 中には「薬師如来像と観音菩薩像」が安置されている。

 仏殿の後ろにある「円覚寺方丈」。
「方丈」の縁側にある「前庭」。
 縁側から見た「前庭」。
「方丈」は法要、坐禅会、説教会などに使われている。
 方丈の後ろにある「専門道場の門」。奥に見えるのが舎利殿で一般の人は入れない。

 舎利殿の境内には「禅僧」が修行をしている道場がある。
「洪鐘」(おおがね)は鎌倉時代(1303年)に鋳造され国宝に指定されている。
「弁天堂」は洪鐘鋳造に江の島弁財天の加護があったのを由来して祀られている。
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