姫 路 城 京 都
 東京発16.4.5姫路城 大阪城大阪泊16.4.5京都 大阪泊16.4.6 東京着16.4.7
赤字は観光地  青地は出発宿泊帰着日
 天気予報で姫路の晴れを確認し早朝4時半に出立して新幹線で馳せ参じたが残念ながら青空は拝めなかった。撮影には適さない曇天でおまけに撮影ポイントの「るの門」周辺にシートが掛かっていた。午後は大阪に移動し大阪城を撮ったが姫路城に比べ歴史感に乏しいレプリカだった。翌日の京都は好天だったが哲学の道以外は撮影ポイントに桜が少なく春のイメージを捉え難かった。何処に行っても中国人観光客が溢れ予約なしでの宿泊は出来なかったが、幸い大阪の知人宅にお世話になれたので日帰りの憂き目を見ずに済んだ。中国人のマナーは言われるほど悪くなく観光地は潤うから熱烈歓迎である。翌々日は奈良を回る予定だったが朝から雨天で撮影を諦め帰宅した。後期高齢者に近づき疲労し易く無事に終わって安堵している。撮影日2016.4.5~4.7 3日間
駅前大通り
(姫路)
桜門橋と観光船
(姫路)
西の丸から
(姫路)
菱の門から
(姫路)
姫路藩和船「はりま」
(姫路)
金閣寺
(京都)
哲学の道と桜
(京都)
銀閣寺
(京都)
清水寺
(京都)

 姫路城は白い鷺(さぎ)舞い立つように見えることから別名「白鷺城」とも呼ばれる。1346年に赤松貞範(あかまつ さだのり)が城を築く。1545年に黒田重隆が城主となり翌年黒田官兵衛が生まれる。1580年に官兵衛の勧めで羽柴秀吉(豊臣秀吉)が入城し1581年に三重天守を築いた。1600年に関ヶ原の合戦で武功のあった池田輝政が城主になり1609年に現在の地下1階地上7階の天守閣を築いた。1945年の空襲で姫路の町は焦土となったが城は奇跡的に破壊を免れた。1993年日本初の世界文化遺産としてユネスコに登録された。2009年に大天守保存修理工事が始まり五年後の2015年に終了している。
 朝9時半に「姫路駅に着いた」時は青空が拝めそうだったが…。
 大手門の桜門橋下を姫路藩和船「はりま」が通っていた。
「西の丸から撮影」。るの門付近にシートが掛かっていた。

「菱の門から撮影」。11時まで粘ったが青空は拝めなかった。
 天守から見た「三の丸広場」。道路の先が姫路駅。超混雑し菱の門から天守往復に一時間半も掛かった。

 お堀をまわる観光船「はりま」。
 大阪城は1583年、豊臣秀吉によって1代目天守閣が築かれ、豊臣氏滅亡後は徳川幕府によって2代目天守閣が再建された。1665年の落雷で天守が焼失し266年後の1931年に3代目天守閣が完成した。1945年の空襲で天守閣の一部が損傷したが破壊は免れた。1995~1997年に大改修され3代目天守閣が登録有形文化財に登録される。建設当時の姿を甦らせて改修工事したとされるが外側に観光客用のエレベータが取り付けられ昔の趣は全くない。
 城をバックに女性が「ツーショット」を撮っていた。
 午後四時頃は「青空っぽく」なったが…。
 堀をエンジンで動く金ぴかの「御座船(ござぶね)」が走っていた。

 京都は京都駅烏丸(からすま)口から出る定期観光バスに乗り名所三ヶ所をまわった。昼食時間を含め5時間の短いコースだが好天に恵まれ快適な一日を過ごせた。
「京都タワー」は街を照らす灯台をイメージして造られた。
「金閣寺」は1987年に7億4000万円を投じ全面改修された。

 銀閣寺参道の先にある「哲学の道」沿いに咲く満開の桜。
「銀閣寺」に桜の木は無かった。
「清水寺の参道」は超満員だが欧米人はいなかった。

「和服姿」の美人参拝は春爛漫の古都を彷彿させる。
「清水の舞台」(高さ12m)の周辺には桜が咲いていた。
 飛び降り「生存率は85%」とされるが当時は樹木が生い茂っていたのだろう。
「音羽の滝」の柄杓は紫外線滅菌装置で消毒されているだが口を付けるのは…。
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