シ ル ク ロ ー ド
 成田07.8.4 (4H) ⇒ 北京 ⇒ (1.5H) 西安8.4 (2.5H) 敦煌8.5~8.6 (1.5H) ウルムチ8.7 トルファン8.8 ⇒ ウルムチ8.9 (4H) ⇒ 北京8.10 (4H) ⇒ 成田8.11
 (**H)は空路  赤字は観光地  青地は出発宿泊帰着日
 シルクロードとはユーラシア大陸の東西を結んだ交易路の名称として使われる。ルートは「長安(西安)からローマまで」とされるが確立した定義はない。一般には、①天山山脈の草原を抜けた草原路(天山北路)、②中央アジアの乾燥地帯を走ったオアシス路(西域南道)、③アジア大陸の南の海を結んだ南海路、の三つのルートがあったとされている。シルクロードの始まりはモンゴル遊牧民の騎馬軍団匈奴(きょうど)を撃退するために、前漢第七代の皇帝武帝(在位紀元前141~87年)が、大宛(だいえん)国(ウズベキスタン・フェルガナ)に産する大型で足の速い名馬、汗血馬(天馬)を手に入れる為に開いたルートである。一日千里を走るという汗血馬を手中にした武帝は西域を制圧し、漢帝国の領土を飛躍的に広げ、西方諸国との貿易を拡大し世界帝国へと発展させた。長安から敦煌、トゥルファンを経て天山山脈の山間を越えウルムチに至り、イリ川流域(バルカシュ湖)に進むルートは紀元後数年に開かれ天山山脈の北麓を進むことから、①の天山北路と称されている。②の西域南道はタクラマカン砂漠を通過する過酷なルートではあるが、最短コース故に利用者が一番多かった。しかし、これらは唐代に繁栄を究めたがその後は海を結んだ、③の南海路が栄え陸のルートは消え去っていった。観光客向けのシルクロードは天山北路を廻るものが多く、観光適時期は7.8.9月であり、冬期は寒く不適である。起点とされる西安は現在都市化が進み、古(いにしえ)のシルクロードの面影は全く感じられず排気ガスに霞んだ、レプリカ(複製)的な観光地であった。西安を離れ敦煌空港に着くと澄んだ空気が心地良い。敦煌市は広大なゴビ砂漠の中にあるオアシスに依存した小さな町で、現代風の建物が建ち並ぶ小さな都会であった。周辺には莫高窟など仏教の遺跡が多数あり、砂漠に始まるシルクロードの起点を十分感じさせてくれた。新疆(しんきょう)ウイグル自治区のウルムチには大きな空港があり、訪れる誰もが驚く程の大都会である。ここには大きな博物館があり楼蘭のミイラも展示されていた。楼蘭は古城遺跡のみが現存している。トルファンも新疆内にあり広い田舎町で周辺には多くの遺跡や玄奘(げんじょう)三蔵の足跡が残っている。住民は何れもイスラム教徒でモスク(礼拝堂)が建っていた。言語は中国語とウイグル語の2つが用いられ、アラブ系の人も大勢いて中国とは思えない多民族国家の雰囲気が漂っている。その昔、大勢の隊商がシルク等の交易品を大量に積んだラクダを曳き、千金を夢見て黙々と進んだであろうシルクロードの行く手には灼熱の砂漠と砂丘が広がり、古道や道石など当時を偲ばせるものは何一つ残っていない。思い描いたシルクロードの果てには、ただ蜃気楼が浮かんでいるだけであった。渡航日07.8.4~8.11 8日間
大雁塔
(西安)
鳴沙山
(敦煌)
ウルムチのビル街
(ウルムチ)
火焔山
(トルファン)
莫高窟・北大仏殿
(敦煌)
新疆ウイグル地区の人々
(ウルムチ)
馬車
(トルファン)
ウイグルの民族舞踊
(トルファン)
ジュニア体操選手
(ウルムチ)
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