ベ ト ナ ム 
 成田07.4.24 (5.5H) ハノイ4.24 ハロン ⇒ハノイ4.25 (1H) フエ ホイアン4.26 ミーソン ダナン (1H) ⇒ホーチミン4.27 ミトー ホーチミン4.28 (6H) ⇒成田4.29
(**H)は空路  赤字は観光地  青地は出発宿泊帰着日
 ベトナムはインドシナ半島東側を南北に細長く延びた国で、ベトは民族、ナムは南を意味している。面積は日本の九州を除いた位の広さで、人口は8500万人である。1802年グエン王朝のもとで統一されたが、1987年にフランスの支配を受ける。第二次大戦後ホーチミンを首班としフランスから独立を勝ち取るが、1954年のジュネーブ協定で北緯17度線(フエの北側)を境として南北に分断される。1955年南部にアメリカ支援の南ベトナムが成立。1961年以降、アメリカおよび南ベトナム軍と北ベトナムおよび南ベトナム解放民族戦線との間にベトナム戦争が続いたが、1976年に南北の統一が実現し首都をハノイと定めベトナム社会主義共和国が成立した。今にして思えばベトナム戦争とは何っだったのだろうか、双方に何の利益もない破壊と殺戮が20年も続いただけのような気がするのだが…。他国を自国の利益のために統治し植民地化するのは侵略であり、それを正当化するのは野蛮人以下である。北部のホン川(ソンコイ川)と南部のメコン川の両デルタ地帯を主に水田農業が行われ、北部は鉱物資源に富み、南部では三期作が成されている。宗教は北部で中国仏教、南部でミヤンマー仏教を信仰している。北部ベトナムは亜熱帯気候で四季があり、5~10月の夏は35℃、1~3月の冬には10℃位になる。南部ベトナムは亜熱帯モンスーン気候で四季がなく通年30~35℃、5~10月が雨季、11~4月が乾季となる。近年ではドイモイ(自主努力)政策の下で外交面でも積極的な開放政策をとっている。現在日本はベトナムの最大の援助国でベトナムに進出する日系企業も年々増え続けている。ベトナム戦争終結から30年余り経過し、空爆に曝されたハノイの街並みに戦火の傷跡は見受けられなかった。しかし中部にあるミーソン遺跡は米軍の爆撃による被害を受けていた。修復中の遺跡もあったが元通りに戻すのは難しいであろう。むしろ米軍の蛮行記念碑として保存しておく方が良い。ベトナム人は今でもベトナム戦争を反省していないアメリカ人に反感を抱いているそうだ。かってはフランス軍に勝利し、更には世界最強の軍事力を持つアメリカに戦勝したベトナムとは如何なる国なのかに興味があったのだが、一般庶民の暮らしぶりは中国のそれと余り変わらなく感じられた。原子力発電所は無く電力不足の為に都市の夜景は暗かった。冷蔵庫の1ヶ月電気代が1万円もするそうだ。しかし豊かとは言えないが中国と異なり親日国で喧騒感の少ない暮らしぶりには好感が持てる。ベトナム航空はサービスが良く、ベトナム料理も日本人の舌になじみ易いので、これからも日本人観光客が増えるであろう。アンコールワットの様な広大な遺跡は無いが、観光客の集まる場所には伝統的な衣装のアオザイを着たスリムな美人が大勢で接客してくれる。またベトナムの女性はかなり逞しい様子で結婚するとライオンに変身するのだそうだ。男は総じて戦争好きだから女性の力が強い方が平和である。土産店のショッピングでベトナム特産のコーヒー粉を売っていた。価格は日本と同じ位なのでベトナム人平均月収の3万円からすると現地の人にはかなりの高額であるが、独特の味で美味しくお勧め品である。豊かな水に恵まれた国で、クルーズ中に日傘を被った昔ながらの人々の暮らしぶりが眺められ心の和む旅であった。渡航日07.4.24~4.29 5日間
ホーチミン廟
(ハノイ)
水上人形劇
(ハノイ)
ハロン湾
(ハロン)
鶏頭島
(ハロン)
グエン朝王宮
(フエ)
トゥドゥック帝廟
(フエ)
朝市
(ホイアン)
ミーソン遺跡
(ミーソン)
スチュワーデス
(ホーチミン)
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